2012年1月22日日曜日
明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録04:15頁
明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」
明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」
以上で、倭と鬼道と仏教と五彩圏連邦とが、
絶対に切り離せないものだったことが、
よくおわかりいただけたと思う。
そして連邦以外は壹與の時代にはもう消滅してしまった。
それは「マチ」が「イチ」に変わったように、
厳密にいえば「鬼道の国=倭国=仏教国」ではなくなって、
「邪馬神の市=シンドゥ教の都=神道の国」が全く新しく生まれた。
それを帯方郡使が『邪馬壹国』と記録したのは当然であって、
間違ってや邪馬「臺」国などという、
何の根拠も、発音もない国名は、絶対に書かなかったのである。
かりに邪馬臺という名詞が当時もあったとすれば、それは国名ではなく、
インド、サンスクリット語の
「ジャムブ・ディパ=素晴らしい世界・宇宙・土地」という
形容詞から訛ったもので、
「伊支馬・壹與・市・一の宮・薩摩(マレー語で1の国)」などという
名詞はこれからは生まれないから、
「邪馬壹国」は絶対に無関係、間違いだと断定できるのである。
これと同じくらいはっきり断定できるものに「卑弥呼のいた場所」もある。
「耶馬台国はどこか?」といまだにいう者がいるが、
それは古代隼人の中心地だった現在の国分市・上井(ウワイ)である。
ウワイという地名は全鹿児島県下でもここ以外にはない。
偉大な歴史をもつ国名への尊敬と恐れが、
この国宝的文化財地名を手つかずで保存させたのである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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