ウワイト(倭人)大学院講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録01:15頁
原文を書いたのは二人の帯方郡使
3世紀に日本列島へ来たのは、
当時朝鮮半島の北3分の2を占領した魏の新領土のうち、
南にあった「帯方(tadpiwang)郡」という植民地の、
総督府の2人の下級役人、
梯儁(テイ・シュン)
と張政(チョウ・セイ)とその従者たちである。
この2人や他の魏の人物の名前は、目的の謎解きには何の影響もないから、
発音にこだわるとかえって面倒で、頭を過労させるだけ損だから、
発音を当時のものに訂正する必要はないが、
謎解きに必要な名詞は、一つ発音が遣うと、
まるで違った答えになるものがあるから、
その文字はすべて3世紀当時の魏人の正しい発音
(漢魏音=上代音)で読んで、それが何を指しているかを、正確に見極めなければならない。
私(加治木義博)がこのことを発見するまで学者たちは、こうしたことを知らずに、
江戸時代の知識のまま倭を「ワ」と読み、
「邪馬壹国」を勝手に「邪馬臺国」に変えて
「ヤマタイコク」と読むような無茶な読み方をして、
それでいいのだと信じていたのである。
それでは真実の歴史がわかるはずがない。
なぜ過去の彼等の努力が無駄で、どれも真相を発見できなかったのか、
今ではよくその理由がおわかりになっているが、
私(加治木義博)が幾度も繰返して強調するのは、
あなたがその真似をなさらず、
正しい発音によって真実を発見していただきたいためである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
ひねもす徒然なるままに
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
ひねもす徒然なるままに
0 件のコメント:
コメントを投稿