ウワイト(倭人)大学院講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録02:10頁
「伊都国から南へ」で、東ではない
情けないのはそれだけではない。
その後がいけない。
間違いを無理に弁護しようとすると
さらに無茶な「コジつけ」の上塗りが必要になる。
それは当り前のことである。
事実は一つしかないのだから、
どんなにしても間違ったものは全て記録と一致しないからである。
どれくらい無茶な説が生まれたかは、面倒なので一々挙げていられない。
それはお暇なとき、残されている本をお読みになればわかるが、
全部無意味なコジツケの「歴史的大記録」だ。
とてもそんな厖大なものを挙げていられないし、
また役にも立たない無駄なことだから、その代表的なものの一つ、
「方角」の問題だけをとり上げてみようと思う。
これはそのインチキ説の中でも最も有名で、普通の知性をもった方なら、
どなたでも正しいか正しくないか、すぐ見破れる問題だからである。
『魏書倭人章』の記事を読むと、
間違いなく伊都国までやってきた帯方郡使が二人いる。
『魏書倭人章』は彼らが体験したままを書いた報告書を基礎にして、
陳寿が編集したものである。
だから当然、彼らはまず、女王国までのコースを詳しく記述している。
それによると「女王の都する邪馬壹国」は、
「九州の中にある[伊都国]から[南]へ水行10日して上陸し、
それから陸行1月のところにある」とはっきり書いてある。
いうまでもないと思うが、奈良は九州から「東」にあって南ではない。
だから大和説はこの「南」さえ理解できない説なのだ。
通常人なら最初に国名を間違えても、ここで気がつくのが当り前なのに、
あくまで自説を押し通そうとしたために、
帯方郡使は方角を知らない人物だったといい、
本当は東なのに、間違えて「南」と書いてしまったのだと、
『魏書倭人章』の記録を「訂正」してしまったのである。
『参考』
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