ウワイト(倭人)大学院講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録01:16頁
「倭」は果たして「国名」か?
「倭」は帯方郡使が勝手につけた名ではなく、
当時よく知られていた人種名なのだから、
漢字は似た発音のものを「当て字」しただけのものである。
それは倭人がこの世から消えない限り、変化はしても後世まで残ったはずである。
だから「倭」の発音変化には「名詞としての歴史」がある。
そしてそれが使われた時期は、次のようにはっきりわかっている。
1 ウワイ 前漢~三国時代 紀元前2世紀~紀元7世紀 漢魏音
2 ワ 隋・唐代以後 7世紀~9世紀 隋唐音
3 ヤマト 奈良時代以後 9世紀以後~現代 和訓
言語学上からみて『魏書倭人章』の帯方郡使の使った文字の3世紀の発音は一つしかない。
それは「1 ウワイ」である。
この発音だと「上井」と書いて<ウワイ>と発音する地名と姓になって今も残るものから、
省略されて<ウワ>→「上・大和」などと変化し、さらに<ワ>になったものまで、
たくさんな記録に一致するので、
古代から奈良時代まで継続していた連邦国家や政権などの
重要な名として、良く継続して実在していたことがはっきり証明されるが、
<ワ>では「上宮」などの、何のことか不明なものが続出する。
それだけでなく、この「ウワイ」の発音だけが卑弥呼政権の実態を完全に物語る。
この重大な威力を強く認識してほしい。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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