2012年1月20日金曜日

多くの歴史事実を物語る「クヌ」国の名



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録04:8頁

 多くの歴史事実を物語る「クヌ」国の名
 多くの歴史事実を物語る「クヌ」国の名

 それを確かめる方法は当時の「四神=方角を示す色の名」を調べることである。

 その地理条件を考えると東は「青=オオ=大・淡など」で、

 奄美大島では西には国はないから大隅半島しかなく、

 西は「白だからシラ=ヒラ」で、

 枚聞・開聞(ヒラ・キキ)=薩摩半島だということになる。

 するとその中央に当たる地域に、

 もと女王国の南にあった狗奴国が移動した場合に限り、

 そこが「クヌ=黄色=中央」と呼ばれてもいいことがわかる。

 過去に「邪馬台国・北部九州説」が唱えていた

 「狗奴国=熊本県の球磨(くま)郡地方」は、

 縦軸だとこの二地点の中央だが、横軸だと北にずれるから、

 球磨は北の黒国という意味の「クマ=高麗=クロ」であって、

 卑弥呼時代の「クヌ=黄色=中央」ではない。

 大隅・薩摩の中央の地点は、

 やはり八幡宮のある隼人町あたり以外にはないから、

 そこに拘奴国が政府を置いた時期は、

 卑弥呼が死んで帯方郡使・張政が滞在していた当時だということがわかる。

 狗奴国とは何だったかが、始めて明らかに理解できたのである。

 この名は、過去の説が見過ごした多くの歴史上の事実を物語る。

 例えば、

 その国名を垂仁=神武天皇=伊支馬=位宮が、以前から国名にしていて、

 それが南から北上してきたことは、

 卑弥呼連邦との2つの「五彩圏連邦」があった証拠なのである。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

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