2012年1月20日金曜日
壹與とは何を意味する名詞だったか
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録04:5頁
壹與とは何を意味する名詞だったか
壹與とは何を意味する名詞だったか
これでマレー語の「マチ」が日本でも使われていたこと。
それは「死」を意味していたこと。
それが大隈では卑弥呼の「祭政一致」を指す「マツリゴト」を意味する「マッィ」になっていて、
帯方郡使はそれを「鬼道」と表現したこと。
それが今の日本では「マツリ」と発音されて、
神道の神社の「祭り」の意味になっていること。
本当の語源はマレー語の「マチ」で、それが鹿児島語になり、
訛って「マツリ」という「方言」になったのである。
この「マチ」には、今の日本ではもう一つ別の意味がある。
それは「町」のことである。
沖縄語の「マチ」は種子ガ島では「マキ」になる。
その意味は「集落=町の原型」である。
祭事が行なわれるのは首都で、そこは当然多くの人が住む所である。
そこで「マチ」はその場所の代名詞にもなったのである。
一つの単語が二つの日本語に分裂したのだ。
この町と同じ意味の日本語に「市=イチ」がある。
これはマチが「死者の祭り」であるのに対して「生者の祭り=イキ」を意味する。
「イキ」は沖縄~大隅語では「イチ」である。
卑弥呼に代わって女王になった「壹與」とは、
この「イチ王=イチュウ」への当て字だったのである。
これは「イキュウ=イチュウ」で「位宮・斎王」と書いても同じ発音になる。
この「イチ」が町に代わってその場所の代名詞になったものが「市」だったのである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録
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