2012年1月30日月曜日
倭王・武の仇敵だった敏達天皇
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録05:20頁
倭王・武の仇敵だった敏達天皇
倭王・武の仇敵だった敏達天皇
武の手紙は高句麗を悪くいうが、よく読むと、
先祖代々海を北に渡って95国を侵略したと書いてある。
海北95国は朝群半島以外にはないから被害者は高句麗のほうなのだ。
武の時代を細かく考証してみると、その時の敵が
「高句麗・長寿王・巨漣=フトタマ=太珠敷天皇=敏達天皇」だったことがわかる。
孝霊天皇の太瓊(瓊は珠)に一致する名乗りだ。
彼は98才で死んでいるから、長寿王と号したと
『三国史記』は書くが、名乗りは「領土名」なのだから、それを探る必要がある。
それは倭王・武が「道 百済より遥かに、船舫を装おいととのえて」
「天極(中国・宋の朝廷)に帰崇(心から敬って服従)」したいと思っているのに、高句麗が無道で…」
と書いていることが手掛かりになる。
彼がいう百済は、大坂の大国・百済=モズミで、
朝鮮半島の小国・百済=クダラではない。
大坂から船で宋まで行くには当時の船では瀬戸内海を通り、
玄海灘に出て壱岐、対馬を経て、
朝鮮半島西側の沿岸を北上して遼東半島に渡る。
おわかりの通り北鮮の高句麗本土を通る必要はない。
このコースで邪魔ができる土地は、
瀬戸内海の出口を押えている山口県の下関だけである。
そこを押えられると海流のために四国、
九州をぐるりと迂回することの不可能だった当時は、
中国へ行こうとしても、もうどうすることもできなかったのである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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