2012年1月29日日曜日

大国主~継体天皇~天智天皇の謎は同じ



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録05:18頁

 大国主~継体天皇~天智天皇の謎は同じ
 大国主~継体天皇~天智天皇の謎は同じ

 これで「廬戸」はお終いではない。

 「イホド」には「意富戸」という当て字ができるが、

 これは「オホト」とも読めることに注意がいる。

 なぜなら謎の人物とされる継体天皇の名乗りは

 「男大迹(『日本書紀』)、袁本抒(『古事記』)」

 と書かれていて、どちらも「オホド・オホト」と読まれている。

 だから当て字を「意富戸」に変えてもいいし、

 そのほうが「イフド」と読むにはずっといい。

 このことでわかるのは、

 継体天皇が住んでいた「三国」とは

 『三国史記』の三国、

 すなわち朝鮮半島のことだったのである。

 文字をかえれば彼は「邑婁」と名乗っていたのだ。

 この「意富」は在来は「オフ」と読むことになっていた。

 そして「大」と同じ意味に使われていた。

 だが文字の発音からいえば

 「意=イ、富=トミ=イトミ」と読むのが正しい。

 このイトミは鹿児島語なら「イツン」という発音になる。

 そしてこれに当て字すれば「出雲」か「出水」になる。

 すると「大国主」は「意富・国王」で、

 その意富は「出雲」なのだから「大=意富=出雲」で、

 同じものだったことがわかる。

 だから天智天皇の「大津」も「意富都」であり、

 それは「意富戸」や「廬戸」「邑婁」でもあったのである。

 これだけわかればどれくらい謎が解けるか…考えてみていただきたい。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

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