ウワイト(倭人)大学院講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録01:14頁
『魏書倭人章』とは?
前書きで簡単にお話ししたことを、記憶に必要な範囲で、
も少し詳しく補足しながらお話しを進めていこう。
『魏書倭人章』というのは、
卑弥呼の死んだ前後に、日本列島の一部にやってきた中国人が、
その目で見、耳で聞いた3世紀当時の
「その地域と卑弥呼政権をめぐる歴史事件のナマの見聞録」が
出張報告書として当時の魏政府に提出されて残っていた。
その魏が間もなく消滅して晋の時代になり、
さらに呉も蜀も滅ぼされて統一国家になってから、
それら三カ国の旧政府文書などをもとに、
かつての魏の敵国・蜀で知事や歴史編集官を
歴任した陳寿(アザナは承祚)が、
280年代に
『魏書』
『呉書』
『蜀書』の3史を編集した。
それがさらに後世に一つにまとめられて『三国志』と名付けられた。
その『魏書』中の『烏丸(ウガン)・鮮卑(センピ)・東夷(トウイ)』
という一つの項目のいちばん最後にある「倭人(ウワイニェン)」の部分だけを、
江戸時代に日本で仮に『魏志倭人伝』と名付けただけのものである。
もちろん江戸時代には、
「倭」を「ウワイ」と読むのが正しいことなど知りもしなかったから、
7~8世紀に日本に入ってきた
唐の発音の大量に混じった「日本流発音」の読み方で、
やはり<ギシワジンデン>と読んでいたのである。
それは私(加治木義博)が訂正するまで続いた。
『参考』
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