2012年1月12日木曜日

狗邪韓国は今の巨済島



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録02:17頁

 狗邪韓国は今の巨済島

 だがその前に簡単でないことが一つある。

 それは島は大きいから、そのどこからが千余里なのかわからないことである。

 これはどうしても「地図」と「紀行文」とをよく「見比べてみる」必要がある。

 まず対馬へ船出した朝群半島側の「出発点」をもう一度よく確かめてみよう。

 それは「その北岸、狗邪韓国」から出発して対馬についている。
 
 このあいだの距離がやはり「千余里」である。

 その次に対馬を出て壱岐につくまでがまた同じく「千余里」である。

 その壱岐を出て、また同じ「千余里」で「末盧国」につく、という。

 それぞれ三つの海上の距離が、ほぼ千里という等距離だというのだ。

 これは憶えやすくて助かる。

 まず「狗邪韓国」とは、現在のどこに当たるのか?…それからみていこう。

 対馬北部から見て、

 対馬と壱岐の間隔と同じくらいの距離をもつ朝鮮半島南端部分を探すと、

 ほぼ中央部に特に大きな島「巨済島」がある。

 ここは今「コジェ島」と発音されているが、

 豊臣秀吉当時の記録には「風島」と書いてあるから

 「カゼ島」と呼んでいたことがわかる。

 「巨済島」は日本式に読むと「コゼイ島」で「狗邪韓国」は「クジヤ」韓国だから、

 「コジェ」「コゼイ」「カゼ」とは方言の違いしかない。

 沖縄語なら「クジヤ」で南九州語なら「コゼ」、

 北九州語なら「コジェ」、

 標準語なら「カゼ」になる。

 「狗邪韓国」は間違いなく今の「巨済島」である。

 この島が対馬への出発点として動かない点はもう一つある。

 それは最短距離にあるということである。

 古代の航海は船も小さく推進機関も手漕ぎや風まかせだったから、

 余程の事情がなければ最短距離をとる。


 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

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