2012年1月14日土曜日

「方角メモ」の中の「邪馬壹国」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録02:25~26頁

 「方角メモ」の中の「邪馬壹国」

 この伊都国には「郡使、往来、常に駐まる所」という説明がついている。

 「郡使」とは帯方郡使以外にはない。

 その帯方郡の使者が「常に」というのであるから、「いつも、例外なしに」、

 この伊都国に「駐まった」というのである。

 帯方郡使は

 「建中校尉・梯儁(ティシュン)」

 「塞曹掾史(サクソウエンシ)・張政」

 二人が、一度ずつ来ただけだから「常に」とは二人ともという意味である。

 「駐まる」は駐車と同じで、

 「そこで止まっていて動かなかった」ということである。

 だから伊都国以後の記事は、これまでのような「紀行文」ではない。

 「伊都国から、どちらへ、どれだけ行けば、どこへ着く」

 という旅行「案内書」なのである。

 もちろん始めてやってきた彼らに、

 そんな知識があるはずがないから、

 それは倭人に尋ねて書いた「聞き書きメモ」なのである。

 それにはこう書いてある。


 「東南、奴国に至る、百里」

 「東、不弥国に至る、百里」

 「南、投島国に至る、水行二十日」

 「南、邪馬壹国に至る、女王の都する所、水行十日、陸行一月」

 これは「東南に百里行ったところにある奴国から、

 さらに東に百里行ったところにある

 不弥国から、さらに……」といった書き方にはなっていない。

 決して東南へ行って、

 そこからさらに東へ行って、そこから南へ行って、

 さらにそこから南へ行くという、

 連続したジグザグ・コースの説明ではない。

 それでないと牛津から、東南に5.5km行った国から、

 さらに東5.5kmへ行った国の、

 「陸地の真ん中」から「南へ水行」しなければならない。

 これはどこからみても、伊都国を中心にして、それぞれの方角に、

 それらの国々があるという「方角メモ」だ。

 これ以外の読み方は不可能で、間違いだと明確にわかる。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

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