2012年1月23日月曜日
卑弥呼は大統領、五王は5世紀の侵略者
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録04:18頁
卑弥呼は大統領、五王は5世紀の侵略者
卑弥呼は大統領、五王は5世紀の侵略者
このほかにもどちらの考えが間違っているか、簡単にわかるものが幾らでもある。
一例をあげると
『日本書紀』は、
初期の「国体=体制」が連邦だったことさえ記録していない。
そこには最初は日本という国もなく
出雲国の大国主に国を譲らせて、
そこヘニニギの尊が天降ったといい、
それ以後一つの天皇家だけ政権をもっていたように系譜でつないであるが、
事実は『魏書倭人章』には多くの国々が記録されており、
卑弥呼もそれらの国王たちに「共立」されて女王に就任したのであって、
これは3世紀には「複数の国」があり、
それが「連邦」を構成して、
卑弥呼を「大統領」に「選挙」したという記録なのである。
また『宋書』の中でも「倭王・武、自身」が出した手紙の中で、
「自分たちの政権は、先祖代々、鎧かぶとを脱ぐひまもないほどに、
西、北、東の敵国と戦い続けて、次第に領土を拡大していった」と、
自分で明らかにしている。
それらの国々は合計219カ国あったと書いていて、『日本書紀』の描く
「天孫降臨以来、天皇家だけ君臨していた唯一つの国家・統一日本」などは、
5世紀後半の477年当時でも、
雄略天皇=倭王・武の頭の中にさえも存在しなかったことは、
この彼が残した手紙を一読しただけでわかる。
それだけではない。
彼ら倭の五王は、歴代、中国の臣下に加えてもらいたくて、
中国政府に使者を派遣し続けている。
そして自分で勝手に中国の役人の称号をつけて、
それが認可されずに突き返されて、
もつと下級の官位で我慢させられ続けている。
これは中国の一部になりたいと願い続けていたという記録だということを、
見落してはならない。
さらに彼らは自分で「七国諸軍事」を肩書につけている。
これは彼ら統一された大国の王ではなく、
7カ国からなる連邦または同盟国の
「軍事問題を任されているのです」という、
中国政府に自分の力量を宣伝するための「広告」であり「報告」なのだ。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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