2012年1月29日日曜日
壮大な真の歴史を小さく縮めた天武天皇
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録05:17頁
壮大な真の歴史を小さく縮めた天武天皇
壮大な真の歴史を小さく縮めた天武天皇
こうしたことがわからなくなっているのは、
7世紀のあの新羅軍と唐の援軍とによる内戦
「大化大戦」によって五彩圏連邦が消滅し、
半島が独立して領土が激減した屈辱の歴史を
消去する目的で、天武天皇が『日本書紀』を作ったからである。
そのためには過去の天皇たちの都をすべて奈良にあったものとして、
その証拠になる地名を奈良県とその周辺に創作する必要があった。
本来は高句麗・邑婁だったものを文字を変えて
「黒田」「廬戸」とし、
それに合う地名を磯城郡に新たに作ったのである。
「まさか…新しい地名を作るなんて…?」とお思いかもしれないが、
奈良にはその「新しく作った地名」が無数にある。
それは日本全国の国名や地名を網羅している。
薩摩もあれば豊前・吉備・出雲・飛騨から西之宮などまである。
「狛=コマ」もあれば「白木=シラキ」もある。
壹與は沖縄の「ヨナバル=與耶原」で即位したが、
「ヨナバリ=吉隠」もあるから、
壹與が奈良で即位したということもできる構造に仕上げられているのである。
地名からいえば奈良は日本の縮図とも言えるが、
天武天皇は実際に東アジアの
全域に広がっていた壮大な古代日本の歴史を、
ちっぽけな西日本だけに縮めてしまった。
これが過去に神聖とされていた「皇国史観」の正体なのである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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