2012年1月14日土曜日
永遠に滅びない「真実の定点」
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録02:27頁
永遠に滅びない「真実の定点」
「邪馬壹国」は「伊都国の南にある」のである。
そこへは「水行=船で行く」のである。
だが、今の牛津町は海岸にはない。
5kmほど離れている。
しかし古代には有明海はもっと水深が深く、
広くて、牛津町あたりまで海岸だったという痕跡が残っているし、
3世紀にも今のように多くの町に細分されていたとは考えられないから、
この辺り全域が伊都国だったはずである。
その広い国の中にある港から南へ出航するということなのである。
ここで特に注意がいるのは、
松浦川の末盧国上睦点から東南へ27.5kmの地点で、
南に海があるところは「ここしかない」ということである。
これも動かない定点なのだ。
九州の他のどこを取ってみても、
この有明海北岸から少し東へ行っても西へ行っても、
南は陸ばかりで、どこも「水行」などできない。
「南へ向かって水行」できるのは、
この「有明海北岸だけ」だということがわかると、
私たちがこの牛津=伊都国までやってきた、
これまでの「復元旅行コース」が絶対に正しくて、
これ以外には真実の「帯方郡使が通ったコース」はなかったことが、
はっきり確認できるから、
これも定点に加えることができる。
「南、水行」という三字によって、
「牛津=伊都国」もまた動かない
「定点」の中に加えることができる。
もちろん定点と定点との間のすべてもまた「定点」なのだから、
これまで進んできたコースの一点一点が
すべて確定した定点になったのである。
これはどんなにしても崩すととはできない。
たとえ人工で有明海を移動させたとしても、
過去に実在した歴史まで移すことはできない。
私たちはすでに永遠に滅びない「真実」を捉えたのである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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