2012年1月24日火曜日
百済仏教渡来は日本でなく高句麗の話
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録04:27頁
百済仏教渡来は日本でなく高句麗の話
百済仏教渡来は日本でなく高句麗の話
ではいったい『日本書紀』の[欽明天皇紀]とは何だったのだろう。
いうまでもなく欽明天皇は、
先にお話した複数の国々のうちの、どの国かの王であって、
当時、統一日本が存在しなかった以上、
誤信されているような「統一日本の天皇」ではありえない。
なぜなら倭国と日本が始めて一つになったのは彼の時代から遥かに後世の670年で、
「天皇」という称号も天武天皇が考案して採用するまでは日本にはなかったからである。
欽明天皇は、多くの国々に分かれていた時代の王たちのうち、主だった王を、
統一日本の先祖として
「寄せ集めて」「つなぎ合わせた」『天皇系譜』の中の一人なのだ。
では彼は、そのうちのどの国の王だったのだろう?…。
それは朝鮮の正史『三国史記』と『日本書紀』を照合してみるとすぐわかる。
『三国史記』では彼と孫の王までの3代は[高句麗本紀]の中に出てくる。
なぜそれがわかるかというと、
この3代は一見しただけですぐわかる同じ名乗りを、
双方の記録にもっているからである。
その詳しいお話しは長すぎるので次回にお話しするが、
『日本書紀』が書いている
「仏教が百済から来た」というのは、
百済と高句麗の間の話であって、
これまで考えられていたような単純な「日本」の歴史の話ではないことが、
あなたにはもう、
よくおわかりになったと思う。
そして欽明天皇に仏教を伝えた「百済」こそ、
位宮と壹與の邪馬壹国に倒された
「卑弥呼の倭国」の後身そのものだったのである。
このことは「百済」とは何だったかがわかれば一層はっきりするが、
今回は予定の紙数が一杯になったので、
それも次回に詳細に謎解きをしてご覧にいれよう。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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