2012年1月21日土曜日

「白=シラ」はギリシャやマレーと共通


『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録04:9~10頁



 「白=シラ」はギリシャやマレーと共通
「白=シラ」はギリシャやマレーと共通

このことでまた別の疑問をもたなければいけない。

それは黄色だけがマレー語だったのかということである。

するとマレー語では彫刻家が使う白い石膏を「シラ」と呼ぶから、

東南アジアでもやはり

ギリシャ語の「シラ」が「白」の意味で使われていたことがわかる。

ギリシャでは西の国を「シラ」と呼び、

その首都を「シラキウス=新羅御主=のちのシラクサ」と呼んだ。

その「シラの国」が、イタリア半島では「チレニア」「チラナ」などと訛り、

ラテン語に翻訳されて「アルバニア=白の国」などとして今も現に残っている。

またマレー語で「シラング」というのは「十字形=プラス型」のことだから、

薩摩の嶋津氏がその十字形を家紋にしていることと、

薩摩に現存する枚聞・開聞から知林ガ島・知覧にかけてのシラギに結びつく複数の地名と、

壹與の子孫で小国日本と呼ばれた鹿児島の領主だつた7世紀の天智天皇が、

朝鮮の正史『三国史記』では「新羅王・金春秋」として記録されていることなどを考えあわせると、

新羅を「シラギ」という不思議な発音で読むのは、

ギリシャ語の「シラキウス=新羅御主」などを語源とする

「シラング」が鹿児島流に短縮されて「シラギ」になったものだという結論に、

自然になってしまう。

マレー語ではまた「黒lを「イタム」「イタン」という。

これに当て字すると「伊丹」が ぴったりだが、

伊丹さんはもともと鹿児島で発生した姓なのである。

このイタムは方言化すると「イタブ」にもなるから、

「板付」もイタブに対する当て字だつたものが、

後世に「イタヅケ」と発音されるようになったものとみると、

いま福岡空港のある板付(いたづけ)は、九州北部にある位置関係からみて、

やはり3世紀の「五彩圏連邦」当時の、

北の国を意味する地名遺跡だったことが確認できたことになる。

そしてそれはまた同時に、

3世紀当時の倭人のあいだでマレー語が使われていた事実の動かぬ

証拠にもなって、従来の『魏書倭人章』研究などとは比較にならない、

非常に精密な歴史の真相が浮かび上がってくることが、おわかり戴けたと思う。

この「イタム・イタン」の問題は、さらにもっと重要なことを教えてくれる。

それがいつ「黒」の意味で、地名として名づけられたか、

その時代と意味を『魏書倭人章』が教えてくれるからである。

ご覧いただきたい。

『魏書倭人章』にはこの「イタム」に当てた漢字の「名」が「3つ」入っている。

まず国々の名をみると、

九州北部にある国は対馬、一大、末盧、伊都、奴、不弥の6カ国であるが、

この中に「イタム」にあたる「国名」が「2つ」ある。

「一大国」は、別にそれほど言語学の知識がない人がみても、

「一=イ」

「大=タ」

「国=マ」で、「イタム」に対する当て字としてピツタリだとすぐわかる。

『参考』

ウワイト(倭人)大学院講義録 

『My ブログ』

ウワイト(倭人):大学講義録

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