2012年1月17日火曜日
倭が仏教徒だという最大の証拠
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録03:15~16頁
倭が仏教徒だという最大の証拠
ここで文献の書かれた時代を再確認する必要がある。
『魏書倭人章』を含む『三国志』の原本である
『魏書』『蜀書』『呉書』の三部作が書かれたのは
200年代の3世紀であった。
『後漢書』はこれより古い漢代を題材にしてはいるが、
それは『三国志』より2世紀も後の5世紀に書かれた。
だから『倭』は、日本列島に住む人種と政権の名としては
『魏書倭人章』に書かれたものが最初で、
それ以前の記録はこれまでまだ見つかっていない。
もちろん『後漢書』の記事にも、
後漢代に記録された文書から語られた情報が入っているし、
単に「倭」だけの名詞なら、
『魏書倭人章』よりも古いことの確実な『山海経』などにも見られるが、
ここでは日本列島の人と政権として記録されたものが問題なのである。
なぜなら、卑弥呼当時に『倭』と呼ばれた政権の後身と考える以外にない
日本列島の支配的大国『倭国』が、
10世紀前半に編集された隣国中国の「唐」の時代に、
書き継がれた正史『旧唐書』中に、
小国日本と対比されて「大国・倭国」と記録されているからである。
同じ『倭』を名乗る卑弥呼政権と、
この後世の「倭国」とが、全然、別の政権だと考える理由は
見つけることが難しい。
それは「倭」が単純な符号的な名前ではなく、
女性仏教徒という動かない意味をもった代名詞だからである。
これは、正確にいえば、国名として考案してつけた名ではなく、
その国民の特徴を名詞代わりにしただけのものである。
「女性仏教徒=ウワイ」国だったから、「ウワイ」と呼ばれていて、
それに梯儁が同じ発音の『倭』の字を当て字しただけである。
「名は体を表わす」という言葉があるが、
その通り「倭=ウワイ=優婆夷=女性仏教徒」なのである。
今でいえば「阪神電鉄=大阪と神戸を結ぶ私鉄」や、
「百貨店」「うどん屋」「商船大学」などと同じく、
その内容がそのまま呼び名になったものにすぎない。
ということは、
この「倭国」という国名をもつ
7世紀=670年に滅びた大国・倭国も、その
① 国名が、その国は間違いなく
「女性仏教徒国」だったという動かない証拠なのである。
そして『日本書紀』の
② 聖徳太子関連の記事や、太子に関わるとされる
③ 法隆寺や、蘇我氏の氏寺とされる
④ 飛鳥寺などの遺跡、大化改新と呼ばれてきた統一日本国誕生以後もなお絶えることなく
続いていた
⑤ 国教としての仏教信仰、それは
⑥ 奈良の大仏に至るまでが全て、
卑弥呼以来の「倭=ウワイ」とは何であったかを立証する「遺物」なのである。
こう見てくると、「『魏書倭人章』の解釈」という仕事は、
『魏書倭人章』だけを見ているようなことでは、
とても正しくて動かない答えが見つかるはずがない。
それは『倭』についても「情報」のごく初めの、ほんの一部に過ぎないから、
なにか見つかったとしても、それを絶対に正しいと立証することもできない。
ということがよくおわかり戴けたと思う。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録
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オリエント歴史回廊(遷都)
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