2012年1月16日月曜日

鬼道は仏教を知らぬ郡使がつけた別名



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録03:11~12頁

 鬼道は仏教を知らぬ郡使がつけた別名

 仏教が派生する前のインドの中心宗教「ブラフマーナ=婆羅門」教では

 神々は「殺すな」などとは説かない。

 神に供える最高の供物は「犠牲」すなわち動物を殺して供えることであったから、

 鬼道は絶対にバラモン教でも、その後身のシンドゥ教でもない。

 インドのシンドウ教では逆に神に犠牲として獣を殺して供える。

 イスラム教キリスト教もまた、

 服喪期間中には肉を食うなという戒律はない。

 しかし今のインドやパキスタンなどで信じられているナムナム教や、

 東南アジア一体から全世界の華僑の間に勢力をもつ天道教などのように

 「絶対に肉食をしない宗教」が現在では存在している。

 ただしこれらの信者は一生のあいだ肉食を禁じられているのであって、

 服喪期間だけ肉食しないというのとは全く別のものなのだから、

 やはり卑弥呼の「鬼道」とは根本的に異なる。

 それは当然であって、この卑弥呼の仏教の戒律の根拠は、

 釋迦の教えの根本にある「殺生するな」という戒律であることはいうまでもない。

 しかし現実には、出家者でない在家一般信者には完全菜食は難しく、

 ことに供給体制の整わなかった3世紀当時の食生活では不可能に近かったから、

 便法として、現在の日本の習慣と全く同じものが当時からあったことを、

 この「当時 不食肉」は示しているのである。

 平素は仕方なく肉食をしている信者も、

 死者が出た時だけは「精進」して肉を食わなかったというのだから、

 卑弥呼の教えが徹底していて、人々は死者の冥福を祈って、

 その期間だけでも釋迦の教えに従って本物の仏教徒になっていた。

 それを梯儁が記録、報告したのである。

 卑弥呼の「鬼道とは仏教だった」という事実が、疑いをはさむ余地なく、

 この『魏書倭人章』の記事によって、完全に立証されているのである。

 では念のためもう一度、それがどうしてわかったか…。

 それはどれだけ有力な証拠か…。

 それをどう説明すれば相手を納得させることができるか……。

 といったことなどを、以上お話ししたことを整理しながら、

 次々に考えていってみて戴きたい。

 そのためには、私がこれまでお話してきたことが、よく理解できたか?……。

 できればそれはなぜか?……。

 できなければ疑問点はなにか?……。

 どこがどう不明のままか?……。

 と考えて、気がついたことをすべてメモしておいて戴きたい。

 私(加治木義博)は戦後、ルーズ・リーフ用紙が発売されて以来、それを実行し、

 思いついたことを全てメモして整理することを続けてきた。

 そのおかげで今では厖大な量の謎が解けたし、

 未解決のものも明瞭な姿でファイルされ、

 頭の中に整理されて入っているから、折にふれてパッと答えがまとまる。

 そこで疑問ファイルを整理する。

 こうして未解決の謎の量はごく僅かになってしまった。

 これはあなたも是非お役に立てて戴きたいと思うシステムである。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
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