2012年1月28日土曜日
「百済」はどうして発展して行ったか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録05:11頁
「百済」はどうして発展して行ったか?
「百済」はどうして発展して行ったか?
これは本講座では余談だが、
これで、この海の民「海神族」がどこまで広がっていったかもわかる。
太平洋の真ん中にある「フィジー」諸島の名は、
彼らが沖縄で「フジー」と呼ばれるようになった後で、
ポセイドンの子孫らしく遠く離れた南太平洋に、
さらに新たな海上王国を築いたことを示している。
フィジーの首都は「スバ」で、諏訪・沙麼(サバ)と近く、沙麼は薩摩に当たるが、
フィジーの東に隣接するのはサモア諸島で、
中国ではこのサモアに「薩摩」という宇を当てている。
またその首都は「アピア」で、これは「阿日国」と当て字できるし、訛れば「アシヤ」になる。
またそのすぐ西憐りのエリス諸島の首都は「フナフチ=船淵=港」という
日本語そつくりの地名をもっているから、
百済人の子孫を考える上では見落してはいけない地域なのだ。
次は百済とは縁もゆかりもないとされてきた、しかし実は最大の例をお話ししよう。
「ハセ」は沖縄~大隅語では「ハシ・ハジ」になる。
これが姓になったのが土師で土器の名になっているのが「ハジ=土師器」である。
これは大阪府が古墳時代の大生産地だった。
「キ」は王のことでもあるからハジキは百済王でもある。
この大工業地帯が当時の百済倭国大発展の原動力だつたことは誰にもわかる。
ハジキは間違いなく「百済王」なのである。
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録
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