2012年1月15日日曜日
倭人=古墳人は確定的
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録03:4頁
倭人=古墳人は確定的
倭人が塚を造った事実は、
卑弥呼の死後にも彼女のために
「大作冢 径 百余歩」と書いてある。
「一歩」というのは魏の尺度で今の140cmだから
「百数10mの長径をもつ大きな塚、
すなわち古墳を大がかりに造った」というのである。
それ以後の天皇家は間違いなく古墳を造る人々だから、
その卑弥呼の古墳を造った人々と同じ習俗をもった人々だったことは疑いない。
もちろん一般の国民はそんな大古墳は造れないが、
小さくてもやはり塚を造る人々だったことはその記事でわかる。
そして周じ習慣は、死者を土葬する地方では昭和時代になっても続いていたし、
天武天皇と持統天皇夫妻は、火葬でありながらやはり古墳形式の墓になっている。
しかし塚と古墳は銅鐸を使っていた先住民・ヤオ人たちも造っていたから、
これで人種を特定することはできない。
では「鬼道は仏教か?…」という問題はどうすれば解けるか?。
それは次の記事が完全に立証していることを見逃してはならない。
「始死停語喪十余日(家族が死ぬと先ず仕事を全てやめて十余日の喪に服し始める)
当時 不食肉(その服喪中は動物の肉に類するものは食べない)
喪主 哭泣(喪主は大声を挙げて泣く①「儀式」を続けるが)
他人 就歌舞飲酒(他人は酒を飲んで歌い、踊ったりして脹やかに騒ぐ)
『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録
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ウワイト(倭人):大学講義録
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