2012年1月28日土曜日

「百済」は移動につれて発音が変わった



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録05:12~13頁

 「百済」は移動につれて発音が変わった
 「百済」は移動につれて発音が変わった


 その経済力が作り出したものが、

 大阪府だけにある世界一巨大な墓=巨大古墳群なのである。

 それを作ったのが

 『三国史記』[百済本紀]にある21代・蓋鹵(コウロ)王なのだ。

  (加治木義博著『誰が巨大古墳を作ったのか』参照)。

 彼はその時代と「蓋」の発音からみて、倭の五王の一人・「興」であり、

 その行為からみて「河内」に土師器生産の大工業地帯の本拠を築き、

 河内に祖先のために巨大古墳を建設した「コウ国」の王で、

 朝鮮語では「鹵(口)」は「ノ」と発音するから「コウ・の」王だし、

 沖縄式古文なら「コウ・津」と書くから「高津」王であって、

 大阪市に「高津宮」を残した天皇だった。

 倭王・興倭王・武の兄だから、

 雄略大皇の兄の安康天皇に当たり、義理の息子に殺されるが、

 これは[百済本紀]の蓋鹵王の最後も同じである。

 これで朝鮮半島で書かれた[百済本紀]の「百済」が、

 半島だけの小国・百済だけではないことが、

 はつきりおわかりになったと思う。

 しかし倭王・武当時でも中国政府は大阪にあった百済本国を認めようとはしなかった。

 より近い小国・百済との外交量が多くて優先していたから、

 同じ文字をもった大国が別にあるとは信じられなかったのである。

 だが大阪のほうは半島読みのパクチェではなかった。

 「百=モ、済=ズミ」だったのである。


 なぜそれがわかるか?…。

 それは世界最大の墓・仁徳天皇陵とされる大仙陵がある地域にその名が残っているからである。

 それは「百舌鳥耳原=モズミ原」なのである。

 「原」は「ワラ=倭国」で、

 天照大神の「高天原」でわかるように「倭国政府の所在地」である。

 だから「モズミ原」とは「百済倭国の首都」という意味。

 倭王・興は首都に巨大古墳を築いて、その繁栄を誇ったのだ。

 ところが大阪市南部には「クダラ」と発音する地域が残っている。

 これは朝鮮半島の百済が新羅に滅ぼされた時の難民が住んだ跡で、

 文字は同じでも全く別物なのである。

 区別するために「馬韓」をマレー語の「馬=クダ」と

 国を意味する「ラ」とでクダラと発音したのである。

 同じ発音変化は奈良県でも起こっているが、こちらは発音に重点があり、別の当て字が残った。

 倭迹迹日百襲姫の墓だとされている桜井市箸中にある

 箸墓古墳は「ハシ」という名で呼ばれている。

 ハシも先に見たとおり、隣接する初瀬(ハセ=大隅語)と同じく

 「百済」という文字を沖縄語で発音したものである。

 こちらは堺の住民と違い、沖縄~大隅糸の人々が命名者で、人と時代とが別だったのだ。

 この「箸」は単なる当て字にすぎす、

 「姫が箸で陰を突いたから箸墓というのだ」というのは、

 その発音に何か「いわれ」をつけようとして考えだした下品な思いつきに過ぎない。

 だから埋葬者は卑弥呼ではない。

 倭王・武が高市と初瀬・長谷を新たに領土に加えた際に死んだ、

 武の一族の誰かの墓にすぎない。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

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