2012年1月30日月曜日

用明天皇時代の実力政権は「高句麗藩」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録05:21頁

 用明天皇時代の実力政権は「高句麗藩」
 用明天皇時代の実力政権は「高句麗藩」

 だからもうおわかりのように、

 「長寿王」という名乗りは「山口県」を指す「長州王」を美化した当て字だったのである。

 しかし「まさか……」という方がありそうだから、証拠をも一つ提出してみよう。

 それは彼の次の用明天皇の名乗りである。

 橘豊日天皇(『日本書紀』)  橘豊日王(『古事記』)

 どちらも同じ「橘=タチバナ」に、孝徳天皇と同じ「豊日=フジ=百済」がついている。

 このタチバナは「多遅馬奈」と書くと「タジマナ」と読めるから

 「但馬国=タジマナ」だとみると、

 彼は蘇我・稲目の娘・石寸名(イシキナ)・意富芸多志比売(オオキタシヒメ)と結婚しているので、

 「稲目」は「イナの国」に対する当て字で、但馬・猪名・豊島と領土がつながる。

 これは彼の代になると、但馬から猪名、豊島と領土が拡張したという名乗りになつているから、

 5代あとの孝徳天皇の名乗りの「天萬・豊日」はこの領土を受け継いだものにさらに

 「天萬」という領土が加わったものだとわかる。

 これで「長寿王」が「長州王」でなければならない理由がおわかりいただけたと思うが、

 その中間には「呉=クレ=高麗」という地名まであるので疑いは残らない。

 こうして見てくると『日本書紀』が書く天皇家は、倭王・武の系統が絶えたあと、

 高句麗系の天皇家が後を継いだ事実が明瞭に見えてくる。

 だが、その交替は決して外国による侵略ではない。

 いわば徳川政権時代の御三家のような関係にあった

 「親藩=しんぱん」の間の政権争いであり、

 政権授受であったのである。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

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