2015年12月12日土曜日

イスラエル十二の支族:レビ族


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪イスラエル十二の支族≫

  旧約聖書の神〔主〕を考える

  『聖書』の記述では、

  イスラエル12部族とは、

   以下の者達を祖とする部族のことである。

  父:ヤコブ、母:レア(ラバンの娘)
       から生まれた6子

  長兄ルベンの末裔ルベン族

  次兄シメオンの末裔シメオン族

  三男レヴィの末裔レヴィ族

  四男ユダの末裔ユダ族

  五男イサカルの末裔イサカル族

  末弟ゼブルンの末裔ゼブルン族

  父:ヤコブ、母:ジルパ(レアの下女)
       から生まれた2庶子

  兄ガドの末裔ガド族

  弟アセルの末裔アセル族

  父:ヤコブ、母:ラケル(レアの妹)
      から生まれた

  末子ベニヤミン の末裔ベニヤミン族

  父:ヤコブ、母:ビルハ(ラケルの下女)
       から生まれた2庶子

  兄ダンの末裔ダン族

  弟ナフタリの末裔ナフタリ族

  父:ヨセフ(ヤコブとレアの妹ラケルの子)、

  母:アセテナ(エジプトの祭司ポティ・フェラの娘)
       から生まれた2子

  兄マナセの末裔マナセ族

  弟エフライムの末裔エフライム族

  以上を合計すると13部族となってしまうが

  これについては以下の4通りの処理の仕方がある。

  ヤハウェに仕える祭司職であるレビ族については

  慣例として数に入れないので12部族となる。

  通常はこのレビ族を入れない計算法が採られる。

  この場合、レビ族は部族扱いされていないだけで

  「古代イスラエル人」の中には祭司として含まれる。

  どうしてもレビ族を数に入れたい場合には、

  かわりにエフライム族とマナセ族をあわせて

  「ヨセフ族」として1部族とする方法もある。

  これは実質的には上記の方法と同内容をさすことになる。

  特に対処せず、12部族ではなくそのまま13部族とする。

  これも実質的には上記の方法と同内容をさすことになる。

  ダン族を除外して12部族とする。

  かなり後世になってできたもので比較的珍しいが 

  『ヨハネ黙示録』などが採用。

  この場合、

   形式的にも実質的にも、ダン族は含まれていない。

  『ヨハネ黙示録』第7章4-8

  それから私が、

  「いったい、何人の人に、
     神様のしるしはつけられたのでしょうか」

  と尋ねると、

   「十四万四千人」という答えが返ってきました。

  その人々は、

   イスラエルの全十二部族から選ばれていました。

  内訳は次のとおりです

  ユダの部族一万二千人

  ルベンの部族一万二千人

  ガドの部族一万二千人

  アセルの部族一万二千人

  ナフタリの部族一万二千人

  マナセの部族一万二千人

  シメオンの部族一万二千人

  レビの部族一万二千人

  イッサカルの部族一万二千人

  ゼブルンの部族一万二千人

  ヨセフの部族一万二千人

  ベニヤミンの部族一万二千人 

  『創世記』第35章22節~26節

  ヤコブの子ら

  伯父ラバンのもとに

   滞在中に生まれた息子たちにベニヤミンを加えて、

  12人が母親ごとに紹介されます。

  レアの息子 :
     ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン

  ラケルの息子:ヨセフ、ベニヤミン

  ラケルの召し使いビルハの息子:ダン、ナフタリ

  レアの召し使いジルパの息子 :ガド、アシェル
 
 この12人が、イスラエルの12部族の祖となります。

  ルベン   Reuben

  ユダ    Judah

  イサカル  Issachar

  ゼブルン  Zebulun

  ヨセフ   Joseph

  ベニヤミン Benjamin

  ダン    Dan

  ナフタリ  Naphtali

  ガド    Gad

  アシェル  Asher

  レビ    Levi

  『民数記』第26章

  ルベン

  シメオン

  メナシュ

  エフライム 

  ユダ

  イサカル

  ゼブルン

  ヨセフ

  ベニヤミン

  ダン

  ナフタリ

  ガド

  アシェル
 
 『ヨシュア記』

  ナフタリ

  ゼブルン

  イッサカル

  メナシュ

  ガド

  エフライス

  ダン

  ベニヤミン

  ルベン

  ガド

  アシェル

  ユダ

  シメオン


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年12月11日金曜日

行方不明になっているモーセの「十戒石」はどこに?


 出典:歴史学講座「創世」

 歴史研究家「小嶋 秋彦」:2015/12/02

 ≪行方不明になっているモーセの「十戒石」はどこに?≫

 課題:行方不明になっているモーセの「十戒石」はどこに?
    ―日本に秘匿されている証拠とその遍歴―
    
 1.旧約聖書「出エジプト記」のモーセに対する「十戒の授与」

  (1)シナイ山における「神の手による十戒石」「第一の十戒石」

  (2)シナイ山においてモーセが刻んだ十戒石「第二の十戒石」

 2.旧約聖書「ヨシュア記」で推測される

   第三の十戒石〔律法の分与〕

 3.レビ族のモーセとアロン「兄」

 4.ヘブライ王国のダビデ・ソロモン〔ユダヤ族〕が

   奉祭したエルサレムの神殿

 5.イスラエル十支族のメディア〔メソポタミア〕への

   捕囚「B.C.7世紀」

 6.ユダヤ王国の滅亡とバビロン捕囚及び
   
   エルサレムへの帰還と第二の神殿
  
 7.エルサレムの神殿の再壊滅と共に

   「十戒石」は行方不明となった

 8.十戒石「第二の十戒石」は

   ユダヤ王国の祭司アロン家によってどこかに秘匿されている

 9.どこに?


 日本の古代史には謎が多く秘められています。

 特に5世紀以前の歴史にはそれが顕著です。

 当講座はそのような不明のままになっている謎を

 『古事記』『日本書紀』など日本の古代史料は元より、

 神社の由緒、神名、地名

 また中国、インド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料をも

 参照しつつ解明すべく挑戦しています。

 よって当講座は古代の秘密のヴェールを切り裂く

 独特の研究成果となっています。

 当講座が世間に多くある歴史解説とほとんど同じであれば、

 敢えてわたしが皆様にお話しする意義はありません。

 当講座の内容がそれらと大分違っているからこそ

 お話し申し上げる価値があるのだと考えております。

 さて、世界の不思議の一つは

 「モーセが刻んだ十戒石」の所在が

  明らかになっていないことです。

 この石板は正確には「契約の石板」となりますが、

 2枚の石板に十か条の戒律、

 つまり神のヘブライの人々に対する指令が

 刻まれていると考えられています。

 この石板を神殿の至聖所に奉祭していたのが、

 モーセの兄にして祭司職アロン家です。

 その神殿はユダ族の王国の首都エルサレムにありました。

 しかし、その第二の神殿が破壊された際、

 その行方が知られずとなりました。

 多くのヘブライ学者などが

 世界中を捜し回っておりますが未だ不明です。

 わたしはヘブライ人が古代に

 日本列島へ渡来していたと説いております。

 果たしてこの「十戒石」は

  日本内に秘匿されているのでしようか。」

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年12月1日火曜日

≪アズミ族の正体≫石門「中津」


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫石門「中津」

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

  中津宮「勝山神社」福岡県福岡市東区志賀島勝馬

   勝山 志賀海神社(福岡市東区志賀島)の背後の山名

      「御笠山、衣笠山と三山」

   勝島神社(福岡市東区志賀島沖津島)志賀島の

    西北端沖にある神社:「沖津宮」という岩礁

   ※志賀海神社の「旧跡」との伝承がある。

  勝「カツ」ka-tu〔門-入口:門口〕

  中津「ナカツ」na-ka-tu〔石-門-入口〕石門口<入口の門の石>

   ※石は「神の住む天界への出入口」

   〇メソポタミアのジッグラト:石の山

   〇「旧約聖書」創世記第28章10~22

     10 さてヤコブはベエルシバを立って

              ハランへ向かったが、

     11 一つの所に着いたとき、日が暮れたので、

       そこで一夜を過ごし、

       その所の「石」を取って枕とし、そこに伏して寝た。
     
     12 時に彼は夢をみた。一つの梯子が地の上に

              立っていて、

       その頂は天に達し、

       神の使いたちがそれを上り下りしているのを見た。

     17 そして彼は恐れて言った「これはなんと

              恐るべき所だろう。

       これは『神の家』である。これは『天の門』だ」 

     18 ヤコブは朝はやく起きて、

       枕としていた『石を取り、それを立てて柱とし』、

       その頂に油を注いで、

              その所の名をべテルと名づけた。

     22 また、わたしが柱に立てた

       この『石を神の家』といたしましょう。

  ◎ 石は『神の家』への『天の門』である。

  志賀海「シカウミ」zikum「天空:天」

   ※志賀海神社とは

    本来「天空」「天」-神を奉祭する祠である。

    その本来の天神は、

    中津宮(勝山)神社の天門を通った

    向こうの沖津宮(勝島神社)に鎮座する神である。

    しかし、この宮も「勝」である限り、

    あくまで「天門」にすぎず。

    その本宮は、がるか彼方にあることとなる。

   〇zikumは(米)は、また深海を表すengurとも訓まれる。
 
    この概念が阿曇磯鹿の祖像である。

  壱岐(長崎県壱岐郡:壱岐島)

  「イキ」ig 戸・扇

   津之宮神社(壱岐郡石田町池田東触)「ツノ」tu-na〔入口-石〕

   〇都之神社(石田神社、壱岐郡石田町石田東触)

  「ツメ」『延喜式』神名帳石田郡津神社「ツノ」

   〇角上神社(壱岐郡石田町湯岳與触)、角上山

  「ツノ」『延喜式』神名帳壱岐嶋壱岐郡角上神社「ツノカムノ」

   都上神社(壱岐郡芦辺湯岳本村触)「ツノ」
 
   〇與神社(壱岐郡芦辺湯岳與触)

  「イキ」ig 「扇・戸」『延喜式』神名帳石田郡與神社「ヨノ」

   津ノ上神社(壱岐郡郷ノ浦町牛方触)

   津の上山(壱岐郡芦辺町住吉前触、神社のすぐ北側)

   中野郷(壱岐郡芦辺町)「ナカ」na-ka 〔石-門〕

   仲触(壱岐郡勝本町)「ナカ」

   中津神社(壱岐郡勝本町北触)「ナカツ」na-ka-tu〔石-門-入口〕

   『延喜式』神名帳壱岐嶋壱岐郡中津神社<名神大>

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ