2013年6月30日日曜日

迦具夜比売の命は垂仁天皇の妃


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:10頁

 一般にはカグヤヒメは平安朝の作品のヒロインで、

 実在した人物ではないと思われている。

 仮に貴方までそうお思いで、

 これまでお話ししたことは、私が気づいた類似点を整理したら、

 壹與との間に多数の一致がみられるので、

 それが「事実のようだ」と、

 一応承認して戴いているという程度である可能性もある。

 だがそれでは本講をご検討戴いている準会員としては、

 あってはならない無知である。

 カグヤヒメという女性は、

 間違いなく3世紀に実在し、それも垂仁天皇のお后として、

 『古事記』に明確に記録されている。

 ただしそれは一見しただけでは、

 道主と壹與・日葉酢媛とは書いてないので、

 そのままでは役にたたない。

 言語復原による研究が必要なので、

 教材として適当だから、ここでお話ししておこう。

 『古事記』垂仁天皇記 には天皇が、

 「又 娶 大簡木垂根王 之 女 迦具夜比売(かぐやひめ)命

  生 御子 袁那弁(おなべ)王 一柱」というはっきりした記録がある。

 『日本書紀』にはない。

 しかしこれでは道主の子の日葉酢媛とは別人に見える。

 その点をよく検討してみよう。

 大簡木垂根王 は

 『古事記』開化天皇天皇記に、天皇が

 「旦波 大県主 由碁理(ユゴリ) 之 女 竹野比売 娶 

  生 比古由牟須美(ひこむすみ)命」

 とあり、

 また「開化天皇の皇子 御真木入日子の兄 

    比古由牟須美王 子 大筒木垂根王」とある。

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2013年6月29日土曜日

なぜ日葉酢媛が壹與で赫夜姫(かぐやひめ)か


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:9頁

 壹與は間違いなく高族の王女としてこの世に生まれた。

 そして卑弥呼の宗女に選ばれてミーマンサー経典の教育を受け、

 伊江島の宗教女王として赴任していたが、

 高句麗から逃れて沖縄で再起をはかっていた位宮に招かれて、

 『三国史記』新羅本紀によると、

 除那伐(ヨナバル)=与那原(沖縄本島)で

 彼の政権の象徴として女王に即位した。

 次いで位宮は、

 高句麗から船で沖縄まで逃がしてくれた

 壹與の父・丹波の道主と合流するために

 種子島に移り、

 連邦の王たちを誘って卑弥呼政権を揺さぶって内乱を起こし、

 一旦、崇神天皇に政権を取らせた後さらにそれも倒して、

 九州連邦の支配者=筑紫王の地位を奪ったのである。

 これを説話化したものが、

 「竹(高族)の中で光り輝いていた小さな(13才の)女の子、

  夜も輝く姫という意味の名をもった赫夜姫

  (『三国史記』新羅本紀の新羅始祖王赫居世(カグイヨ))が、

  竹取翁(チクシュオウ=筑紫王=位宮)に見出だされ、

  女王として育てられたあと、

  月世界(南九州語では竹も月もチッと発音する=高族=シンドゥ教徒の国=位宮の琉球)へ、

  天人(大天=ウチナ=琉球=イキュウ=位宮王)に強制的に連れて行かれて、

  月読=月夜見の尊になった」

 という悲劇の日本版シンデレラ物語=『竹取物語』である。

 鹿児島は鹿児之国(カグシマ)。

 カグヤは鹿児国(ヤ)で、

 赫居世(カグイヨ)は鹿児壹與(カグイヨ)の訛り。

 どこから見ても壹與は鹿児島女王なのだ。

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2013年6月28日金曜日

重要な「名詞の地域差」の考証


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:8頁

 日葉酔媛の

 「ミーマンサー子=ミーマンサーの奉持者(ほうじしゃ)」
 という名乗りは、
 
 彼女が仏教徒として深い教育を受けたことを表現していて、

 彼女が単に卑弥呼の薫陶(くんとう)を受けたというだけではなく、

 後継者中第一人者の地位にいたことも教えている。

 こうしたことはすべて日葉酢媛こそ

 『魏書倭人章』に「卑弥呼の宗女」と

 特記された壹與であったことの証拠であって、

 これまで単なる個人名としか考えられなかったその日葉酢媛という名は、

 彼女の任務の内容と地位を名乗りにした

 邪馬壹国の官名「弥馬升」そのものであり、

 壹與のほうはその任命以前に、

 個人名に近いものとして使われていた通称、

 すなわち彼女の出身地と地位を表わす

 「伊江島女王」という意味の名乗りを、

 種子島独特の呼び方で

 「イエッジョー」と呼んだものだったこともわかっている。

 それが彼女が邪馬壹国へくる前には、

 種子島で生活していた事実を立証している。

 名詞にみる方言、または、こうした特徴のある地域名詞は、

 またとない貴重な史料であり文化財なのだから、

 それらを消滅させるために強制されてきた明治式標準語教育は、

 今の文化財保護の精神と全く逆のもので、

 田舎市長らがともすれば由緒ある地名を

 どこにでもあるありふれたキザな地名に変えて得意がっているのと共に、

 犯罪として弾劾される日が必ずくる。

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2013年6月27日木曜日

『三国史記』と高族「欠史天皇」の実体


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:7頁

 『三国史記』は9世紀に高麗(コウライ)が朝鮮半島を征服してから、

 新羅35代景徳王以来、

 反日感情にみちている新羅史料をもとに、

 中国史料から引用したものを加えて作った作品で、

 日本と朝鮮半島とは血縁はないと強調する目的で作った、

 意図的に手を加えた歴史書なので、

 これまではその内容は全て朝鮮半島だけの歴史だと思い込まれていた。

 しかし高句麗王たちは高(コウ)を意味する孝(コウ)の字のついた欠史天皇として、

 神武天皇と崇神天皇の間に配列され、

 その系譜をみると

 卑弥呼も、日葉酢媛も共に、

 その王統の出身なのである。

 ここで日葉酢媛の名乗りの換討を手抜きしてはならない。

 それがパーリ語仏典の教義の名

 「ミーマンサー」を奉じる子という意味であることは、

 大学講義録24の30頁でおわかり戴いたと思うが、

 それは『魏書倭人章』が

 弥馬升という当て字で記録したものと同じだった。

 その弥馬升には崇神天皇の皇后御間城姫の名も一致するし、

 地名にも美作(ミマサカ)(岡山県)が実在するので、

 それが正しいことが確認できる。

 この御間城姫皇后が卑弥呼が死んだ直後、

 卑弥呼の後継者になったが、

 気象が激しくて男王・崇神天皇の手に負えず、

 別居してしまったことが再び内乱を招いて崇神政権は崩壊した。

 (『日本書紀』では

  御間城姫皇后は

  卑弥呼の死後は「天照大神」と呼ばれている。)

 日葉酢媛は卑弥呼からは3代目の天照大神であり、

 3代目卑弥呼なのでもある。

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2013年6月26日水曜日

『三国史記』にもある丹波道主王


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:6頁

 この系譜は『記・紀』以外にも

 『先代旧事(くじ)本紀』巻第七『天皇本紀・上』の

 「垂仁天皇」の中にもあり、

 当て字は多少違いはあるが『日本書紀』と同じである。

 そこには后妃の父の丹波道主王は、

 開化天皇の児・彦坐皇子命の子だと書いてあるから、

 それが正しいとすると、

 この皇后たちは開化天皇の曾孫(ひまご)だということになる。

 また『三国史記』の『高句麗本紀』

 「故国川王」中にも「故国川王の后」に

 提那部于素(テナベウス)の娘・于氏を立てたと書いてある。

 この故国川王の名は「国襄(セウ)」で、

 大学講義録17の14頁でお話ししたように、

 孝元天皇の名の「国牽(クニヒク)」に当たる。

 これは「狗奴卑拘」で「高(ク)の彦=高句麗王」を意味するから、

 同じ高句麗王である孝霊天皇の後継者だったことは間違いない。

 すると提那部于素も于氏も、

 女王国の南にあった狗奴国の人だということになる。

 旦波も丹波もパーリ語で、

 タンバ・パンニと書かれて

 インド最南端のスリランカを指す名詞だった。

 南九州では巴利国の南の海上に種子島があり、

 タネ国を沖縄語で読むと「タニマ・タンバ」になるから、

 丹波は種子島への当て字の一つである。

 これと提那部を比較してみると「タ→テ、ン→ナ、バ→ベ」で、

 a(ア)をe(エ)と発音する南九州語だと丹波と同じ名になる。

 また于氏もウシで、美知能宇斯の「宇斯(ウシ)」だから、

 于素も宇斯をウスと読んだものだとわかる。

 《『三国史記』にもある丹波道主王
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2013年6月25日火曜日

日葉酢媛姉妹の父と系譜


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:5頁

 そうした位宮たちの置かれた状況と立場は、

 彼の系譜からも読み取れる。

 邪馬壹国政権は位宮すなわち垂仁天皇の政権だから

 垂仁天皇の皇后たちの系譜を見てみると、

 『日本書紀』と『古事記』とでそれぞれ当て字が異なるが、

 皇后と皇妃=大学講義録24の31頁のリストの

 弥馬升、弥馬獲支は姉妹であって、

 その父と他の姉妹の名は次のように書かれている。

 『紀』丹波・道主王 ―  日葉酢媛             (垂仁皇后)弥馬升  ビバス

             渟葉田瓊入媛       (垂仁妃) 奴佳毋  ヌハダイ

             真砥野媛                    マトノ

             莇(薊)瓊入媛      (垂仁妃)      アザミニ

             竹野媛                     タカノ

 『記』旦波・比古多々須 比婆須比売        (垂仁皇后)弥馬升  ビバス

    ・美知能宇斯王― 弟比売(沼羽田之入毘売) (垂仁妃) 奴佳毋  ヌハダイ

             歌凝比売  カキ     (目目徽) 弥馬獲支 ミマカキ


             阿耶美能伊理毘売     (垂仁妃)      アザミノ

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2013年6月24日月曜日

在来の「説」が全滅した理由


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:4頁

 彼等は、

 狗邪韓国または対馬から、一大、末盧、伊都国までと、

 伊都国の東南にある奴国、

 その東にある不弥国、

 その南にある投馬国と、

 さらに多くの旁国から成る女王国との全域を

 「邪馬台国」または「邪馬壹国」と呼んでいるからである。

 それは頭から邪馬臺はヤマトで、

 奈良時代の「大和」朝廷の前身だから、

 「邪馬台とは大和=日本(ヤマト)全体の国号だ」と

 思い込んで自説を展開している。

 直接、それに触れてはいなくても、

 卑弥呼を漢のような統一国家の皇帝同様に扱っているから、

 著者の考えははっきり見えている。

 しかし陳寿の原文を少し注意して読めば、

 伊都国から南へ海路を10日行き、

 さらに陸路を南へ1か月行ったところにある国が邪馬壹国であって、

 それは女王国の『首都=都市国家』だと書いてあり、

 倭国全体が邪馬壹国だなどとはどこにも書いてない。

 在来の邪馬台国論者たちが、

 まるで漢文が解読できなかったことを、

 はっきり暴露しているのである。

 正しく「邪馬壹国」と書いてあるものを、

 ヤマトに似ているというだけで、

 頭から邪馬臺が正しくて邪馬壹は間違いだと思い込み、

 そのためそれ以外の記述もすべて間違っていると、

 方角も距離も地名も自説に都合のいいように「訂正?=訂悪」までして、

 大々的に唱えられた「説」が、

 どれくらい日本人として恥ずかしいものだったか、

 実に情けない限りだ。

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2013年6月23日日曜日

邪馬壹国とは小国・旧巴利国のこと


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:3頁

 大学講義録24では

 邪馬壹国の官名が、位宮の立場の弱さと、

 それを補うための彼の苦肉の権謀術数をよく記録していることまでお話しした。

 当時は祭政一致時代で、

 宗教が現代からは想像もつかないほどの支配力をもっていたから、

 単に政変ぐらいと考えるのは間違いで、

 他宗派から同調者を得ることは困難を極めていたことが推理できる。

 先にみた卑弥呼時代の女王国の旁国が物語るように、

 当時の倭国はせいぜい市町村ていどの小さな地域が、

 それぞれ一国を形成していて、

 まだ統一国家は生まれていなかったから、それはなおさらだった。

 卑弥呼が長期にわたって君臨していたといっても、

 それは倭国連邦の女王としてであって、

 統一国家の独裁者としてではなかった。

 彼女を倒しても、

 位宮と壹與が直ちに、全国的な強大な支配力を手にいれたのではない。

 彼等が政権を手に入れたその直前にも繰り返し内戦が起こったことでわかるように、

 一つ間違えばまた政権を失ったのである。

 邪馬壹は旧巴利国で、たとえば江戸が東京になったように、

 首都名が変わっただけに過ぎず、小国の名であって倭人全体の名ではない。

 仮に「壹」は「臺」が正しくて邪馬臺だったとしても同じことで、

 それは隼人町から国分市一帯の名でしかない。

 過去の『邪馬台』論者はもちろん『邪馬壹』論者も、

 この点で全員が根本的な間違いを犯している。

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2013年6月22日土曜日

宗教改革にみる位宮の権謀術数


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:32頁

 本講10で、官名はすべて邪馬壹国のもの、

 また各国高官はすべてシンドゥ教徒だと、ご説明した。

 その理由は女性を中心にした仏教国を意味する倭国や巴利国の名を、

 シンドゥの神「邪馬を祭祀する=齋(いつ)く」という意味の

 「邪馬壹国」に変えたことで明瞭だが、

 それは革命の全体俊の大まかな輪郭であって、

 現実には、複雑な利害が錯綜していた小国連邦の、

 複雑な政情を細かく分析して、

 様々な権謀術数が用いられたことをその国名が記録している。

 「邪馬台国の女王」などと呼び、

 入れ墨をして貫頭衣を着たなどと強調してきた在来の作家らが、

 なんとなく漠然と空想していたような、未開な野蛮人ではなかったのである。

 その最も顕著なものは卑弥呼の崇女である壹與を女王にして利用したことで、

 その狙いが「仏教徒取り込み政策」だったことは、疑問の余地がない。

 また本講18などでご説明した弥馬升と弥馬獲支の官名を残し、

 豊作を祈る女官奴佳鞮を置くなど

 「女性による祭政一致」を強く印象づけようとした意図もありありと見える。

 これらはすべて、信仰の激変を覚らせないための迷彩装飾だったし、

 後に国名・新羅にまでなったシーラバッガ(戒律)も、

 位宮らが秘めた本当の願望「カラグニ=シバ信仰の復活」を

 カムフラージュする苦肉の偽装教義だったことは、

 肝心要(かな)めの戒律「女性排除」が

 全然実行されていないことで明らかである。

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2013年6月21日金曜日

邪馬壹国の官名と『記・紀』の名乗りの一致


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:31頁

 『記・紀』の名乗りと比べると、

 より具体的に邪馬壹国政権の性格が読みとれる。

 官名  『記・紀』編者の読み方と当て字   発音差  地位    姉妹

 伊支馬  イキマ   紀 活目      (大隅語) (垂仁天皇) 位宮

      イキメ   紀 倭姫命(イキメ) (鹿児島語)(垂仁天皇の姉妹)

 弥馬升  ミマジョウ 紀 御間城姫    (大隅語) (崇神天皇と皇后)

      ビバス   紀 日葉酢媛    (沖縄語) (垂仁天皇の皇后)

 弥馬獲支 ミマクワシ 紀 遠津年魚眼々妙媛(大隅語) (崇神天皇の妃)

      ミバカシ  記 美波迦斯毘売  (大隅語) (景行天皇の妃)

      ミハカシ  紀 御刀媛     (鹿児島語)(景行天皇の妃)

 奴佳鞮  ヌハダイ  記 沼羽田入比売   (朝鮮語)  (垂仁天皇の妃)

      ヌカダ   紀 額田大中彦      (沖縄語)  (応神天皇の皇子)

            紀 額田姫王        (沖縄語) (天武妃・天智妃?)

 邪馬壹国誕生直後は崇神の后妃二人と同じ官名が残り、

 それを日葉酢媛姉妹が継いだこと、

 すなわち仏教政権を継いだかたちになっている。

 シンドゥへの本格移行はもっと後のことだ。

 《邪馬壹国の官名と『記・紀』の名乗りの一致
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邪馬壹国官名の正しい発音とその真意


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:30頁

 カールグレン(略称KG)発音に復元して、

 その方言差を一覧表にしてみると、

 パーリ語の意味とは別の、

 現実的な職務内容や、関連のある史実など細部が見えてくる。

 当て字  KG発音略     KG発音カナ書き 倭音原音 その真意と関連名

 伊支馬  ier tieg ma       イェーチェッマ  イチマ   伊江島  家島  市松

                           イチメ    倭姫命  斉女  市女

                     (大隅音)        壹国    一宮  壹與

 弥馬升  miar ma siang     ミャーマシヤング ミーマンサング ミーマンサー子

                (北九州音)   (大隅音) 宗務・法務大臣

 ミーマンサーは仏教の教義名だが、

 それが沖縄語化したものがさらに北九州音で書かれているのは、

 首都が伊都国にあった時代の官制を、

 この時もまだ継承していたことを意味する。

 弥馬獲支 miar ma gwak tieg ミャーマグワチグ ミーマンガチグ ミーマン書き子

                        (大隅音) 内閣書記官長

 奴佳鞮  No keg dieg     ノケッディェグ  ヌケデッグ 抜け出た者を選ぶ子

                        (大隅音) 試験官・文部大臣

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いま真実の『正史』に成長し始めた『記・紀』


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:29頁

 シンドゥ教徒の家に生まれた卑弥呼が、

 ソナカと結婚したために仏教徒になったことが、

 我が国に古墳時代を開くことになり、

 そのソナカの墓が南九州に残る

 我が国最初の古墳なのだということまで完全にわかった。

 現在までにはまだ確認されてはいないが、

 そのソナカの墓は十中八九まで

 「堂前古墳」だと考えられる条件が揃っている。

 これまでは一種のお伽話ぐらいにしか扱われなかった

 神話中の『天の推彦物語』が、

 現実の歴史記録であり、

 それも卑弥呼の夫・ソナカ=仲哀天皇の生々(なまなま)しい

 史実だったことが立証できたのである。

 『記・紀』は今、

 素晴らしい速度で真実の『正史』に成長しつつあることが、

 よくおわかり戴けたと思う。

 しかしその卑弥呼政権も彼女の死によって国土を奪われ、

 壹與の邪馬壹国政権に変わったと『魏書倭人章』はいう。

 ではその新政権はどんな政権だったのか?。

 やはり信仰と政治が一つになった祭政一致政権だったのか?。

 それなら政策や国民生活はどう変わったのか?。

 それについては本講10や18などで少し触れたが、

 サワリ程度にすぎなかったから、これから徹底的に検討を進めてみよう。

 邪馬壹国政権の性格と機能を証言する人的構成はその国名に現われている、

 まずその解読から始めよう。

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弥奴国に現存する我が国最古代の古墳


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:27~28頁

 女王国の旁国中の「弥奴国」は、

 卑弥呼が共立される以前の

 「沖縄~南九州~高句麗連邦」の首都であり、

 のちに仲哀天皇の皇子・籠坂(カゴサカ)王(鹿児島王)が

 討たれた宮之城であることも、私たちには詳細にわかっている。

 その宮之城の北西武には1000mを超える紫尾(しび)山がある。

 これは今はシビサンと読むが、

 シオ山とも読めるから、はじめは死王山だったが、

 いい名ではないので文字を変えた可能性があるし、

 喪山もソオ山と読めるので

 『記・紀』の編集者がソナカのソ王を喪とて字したか、

 また、死王山か柴尾山から喪山に変えた可能性もある。

 だが柴尾山は古墳ではない。

 宮之城=弥奴に別に古墳が築かれたとみるのが正しい。

 本講12の付録、

 上(かん)村俊雄氏の『南九州の古墳文化』で、

 よくおわかりのように、

 この弥奴国の北西部に入る出水郡高尾野(たかおの)町の

 「堂前(どうまえ)古墳」は地下式板石橋み土壙(どこう)だが、

 供えられていた土器が弥生土器だったことで、

 間違いなく我が国最亨の3世紀古墳であることが確認された。

 上村氏もこの

 「堂前古墳の調査によって、

  これまでの古墳時代の概念は一新された」と書いておられる。

 そこには1基の円形境と16基の方形墳がある。

 その円形墳が中心人物の古墳で、方形墳が臣下のもののようにみえる。

 喪山のモデルは、

 その円形墳か、墓地全体を指す可能性が考えられるから、

 堂前古墳はソナカの喪山の実物だった資格を充分備えている。

 高尾野町堂前古墳

 「高尾野町堂前古墳

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最初の高塚古墳記録はソナカ(天の椎彦)の喪山


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:26頁

 古墳時代は、卑弥呼の大冢からでなく、

 ソナカたちの渡来時に始まっていたことも間違いない。

 ソナカの別伝である『天の稚彦』の死を弔った話の、

 彼の遺体を収めた「喪山」という名は、

 彼の墓が山に似た形の高塚古墳だったことを

 明確に記録しているのである。

 その要点を『日本書紀』から抜き書きしてみよう。

 稚彦が高皇産霊尊に報告しないので、

 その様子を見に派遣した雉(キジ)を稚彦が射殺する。

 その矢は高皇産霊尊のところまで飛んでいく。

 高皇産霊尊がその矢を投げ返すと稚彦の胸をつらぬき、

 稚彦は即死する。

 稚彦の父は喪屋(もや)を建てて、殊(もがり)をした。

 稚彦の葦原中国の友人・

 味耜高彦根(アレクサンドロス)の神が弔問に訪れたが、

 彼は稚彦によく似ていたので家族は稚彦が生き返ったと喜ぶ。

 味耜高彦根は

 「死人と間違えるとは何たる無礼」と怒って喪屋を斬り倒す、

 喪屋は天から崩れ落ちて地上の山になった。

 いま美濃の国の藍見川の上流にある喪山がそれだという話である。

 この昔話では「喪山」は天の上から「美濃」に落ちたと書いてある。

 しかし若い卑弥呼の夫の墓が今の岐阜県の美濃にあるはずがない。

 またソナカは仲哀天皇であり彼は九州で熊襲と戦って死んだ。

 はっきり九州だと書いてあるし、

 熊襲が岐阜県にいるはずもないから

 この熊襲のいる美濃は、

 のちの女王国の旁国『弥奴(ミノ)』以外にはありえない。

 《最初の高塚古墳記録はソナカ(天の椎彦)の喪山
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2013年6月19日水曜日

古墳はなぜ仏教徒のものか?


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:25頁

 これには動かない証拠がまだある。

 それは2世紀後半の桓帝時代、

 日本には古墳は一つもなく、

 どこから見ても、

 古墳が立証する仏教時代にはまだ入ってはいなかったからである。

 この古墳と宗教との関係を、

 ここで繰り返し、しっかり認識しておくことにしよう。

 古墳については

 「卑弥呼の大冢が「古墳」らしい」というのが、

 我が国の発掘考古学者の知識の現状で、

 それさえも何一つ確かな根拠をもっていない。

 しかも近ごろになって

 「奈良県の古墳中には、

  3世紀半(なか)ばに作られたものがあるのではないか」と

 半世紀もさかのぼってみたりして、

 いっそう混乱が激しくなっている。

 なぜそんな想像説が出るのであろうか?。

 それは卑弥呼は奈良にいたはずで、

 それなら

 彼女の大冢は3世紀半ばに作られたのだからというのが

 発想源であることはすぐわかる。

 その根拠は『魏書倭人章』の記事なのであって、

 発掘考古学の説ではなく、

 文献史学の専門家にも難しい難問を、

 文献史学に無知な発掘考古学者が

 何の勉強もせず唱えているのだから、

 素人説でしかないことは、いうまでもない。

 しかし私たちは、もうとっくに、

 「古墳は仏教徒のものだ」と知っている。

 シンドゥ教徒は墓を作らず、

 遺骸を鳥に食べさせる鳥葬や、

 焼いた灰を大河に流したりして、

 捨ててしまうが、

 仏教徒は繹迦の一本の歯でも、

 あのサンチーの大塔のような古墳に葬むる。

 《古墳はなぜ仏教徒のものか?
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後漢代にシンドゥ教徒だった卑弥呼の両親


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:24頁

 これで、どれくらい

 日本語の中にサンスクリット語が入っているかご見当がついたと思う。

 しかもそれは必ずしも位宮以後とは限らない。

 それは卑弥呼が、

 もと天照大御神であることが確定している今では、明確にわかるものがある。

 彼女は伊是名島で

 伊弊諾尊・伊弉冉尊を両親にして生まれたからである。

 この両親の名乗りは島名の伊是名で、

 それはシバ神の別名の一つ「鯨・靺鞨魚(マカーラ)」を意味する

 インド語「イサナ」が語源で、

 日本には「勇魚(イサナ)」という当て字もある。

 この解釈がムリでない証拠は、

 同じ海域に同じ巨大魚・鯨を意味するインド語の

 「ガジャ(象)・ミナ(海)」にそのまま当て字した

 「臥蛇(カジャ)」島」が現存していて、

 その島の形がまさに象の頭によく似た頭をもつ、

 ゴンドウクジラそっくりであることは前にもお話しした。

 卑弥呼の両親は、

 間違いなく「シバ神を信仰するシンドゥ教徒」だったが、

 卑弥呼はその異常な髪の色でシンドゥ教徒には成れないというので、

 金髪を尊とぶギリシャ教徒のところへ送られて、

 天照大(ゼウス)神に仕える巫女・天照大衡神になったのであった。

 これは、

 いうまでもなく卑弥呼時代以前の沖縄にシンドゥ教があったことを、

 はっきり立証している。

 その正確な時期は

 卑弥呼が女王に共立された後漢の桓帝の時代(146~167年)である。

 《後漢代にシンドゥ教徒だった卑弥呼の両親
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「コジつけ」と「本当の発見」の診断法


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:22頁

 こういう言語比較は、双方に不一致点があるため、

 無理に「コジつけ」たものだという人が当然ある。

 だが、別の言語である2語が、

 完全に一致することなどがあるだろうか?。

 たとえば同じ日本語でも関東語と方言と、

 また明治の日本語と今の日本語と比べてみても、

 若い人には意味が通じない言葉がいっぱいある。

 さらに江戸時代の本を読んでみると、

 まず文字が読めないし読めても意味がわからない。

 とても日本語だとは思えない。

 誰でも等しく言語が地域や時代で、

 どんなに変わるものかを深刻に痛感させられる。

 ところが、ここに挙げた言葉は

 ① 「日本語ではなく外国語である」。

 ② 「時代も江戸時代どころではなく、2000年以上も古いものだ」。

 ③ 「それも何万語もある辞書から都合のいい言葉だけを探しだして比較した。

    というのではない」。

 ④ 「存在のはっきりした有名な古代文献に記載された項目中の、

    ある部分に集約された言語を選り好みせず全部を取り上げて、

    それと日本語とを比較してみて、なおかつ

 ⑤ 「その相似が専門家でなくても理解できるほど

    共通点をもっている動かない事実」をご覧戴いたのである。

    これと、

    明治の言葉さえ理解できない現実とを考え併せる能力がありさえすれば、

    それは

 ⑥ 「もとは一つだったもの以外には、ありえない現象を立証している」と理解できると思う。

 《「コジつけ」と「本当の発見」の診断法
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『副プラーナ18章』の章名にみる日印共通語


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:19~21頁

 1 Sanatkumara  サナトクマーラ  蘇奴と球磨国 真戸熊荒

 2 Narasimha   ナラシンハ    奈良榛原(ならんはら)

 3 Naradiya    ナラディーヤ   奈良爺や

 4 Siva     シバ        紫・芝・斯馬・志麻

 5  Durvasa       ヅルパーサ         狡る婆さ 出るわさ

 6  Tara          ターラ(多羅)   平ら・多良・平良・田原・俵

 7  Manava        マーナバ      学ぶ・学ばん・真鍋

 8  Ausanasa      アウシヤナサ    会う。凡そ成さん

 9  Varuna        ヴアールナ     悪な。榛名

 10  Kalika        カーリカー     軽い(かーりかー 南九州語)

 11 Samba         シヤーンバ      産婆。せんば(せねば 福岡語)

 12 Nandi(Nanda)ナンディ・ナンダー 汝。何でい?。何だ?。涙(なんだ)

 13 Saura     サウラ             そうだ。早良・佐原・左右田

 14 Parasara      パーラーシヤラ     晴らしや。しゃらり。さらっと

 15 Aditya        アディトヤ         あでぃとや(大変なのか 南九州語)

 16 Mahesvara     マーヘシュワラ     前座り。売僧輩(まいすばら)

 17 Bhagavata     バーガバタ         馬鹿。馬鹿ばたばた
  (Bhargava)   バールガワ         遥か。春川。張る皮

 18 Vasistha       ヴワーシストハ     婆(我)死すとは。鷲須・鳥羽


 「その他のウパニシャッド名」

  Jabala     ジャーパーラ  蛇腹・邪馬国

 Subala     スパーラ    素晴らしい・スバル星団・須原

 「シバ派のタントラ」
 (お経・教義)は、その目的によって次の3通りの呼び名で呼ぶ。

 Agama           アーガマ     崇めよ・あかん・赤間(下関)

 Yamala          ヤーマラ    止(や)めよ・やめろ・山国・山田

 Damara     ダーマラ    黙れ・黙らっしゃい、玉国・溜る

 「シバのがヅルガー」が主体の用語(1)

 Yoga            ヨガ            肉体修行(良か=良い 九州語)

 Mayayoga        マーヤーヨガ    魔法修行(まやかし。迷うが)

 Kriya           クリヤ          神殿=庫裏・像等の製作技術修行
                 抉(く)り屋。くりや=厨房=女性の聖域

  Sakti           シャクティ   性力・酌嗜・灼痴・杓子

  Deva            デバ      神・出羽・出刃・出歯・爺婆(ジパ)

 Sita・asita     シタ・アシタ  白(シト=大隅語)・黒・芦田

 Uma             ウマー     女神・姥・乳母・旨い・大国・馬

  Gauri           ガウリー    香り・氷・凍り・小売り・郡


 「シバのがヅルガー」が主体の用語(2)

 Laksmi    ラクシュミー            楽する・楽趣味・楽住み
                          楽しっめ(楽にしてみろ 南九州語)

 Sarasvai      サラスワティ              晒す・私(ワテ=関西語)果てる

 Durga         ヅルガー                (狡か 南九州語)・敦賀・駿河・洞(ドロ)川

 Kali          カーリー                  狩り・仮・借り・担い・軽・高麗

 Candi         チャンディ                ちゃんと・感じい(感じる 南九州語)
                                         喜星武(チャン=沖縄姓)

 Matri     マートリ(神母)           的・真鳥・間取り・祭り・股

 Yogini    ヨーギニー(魔女神)   好(よ)きに・良き尼

 Gopi     ゴーピー(牛妃=牧牛女) 牛津=五津=伊都

 Tara     ターラ(多羅)           平ら・多良・平良・田原・俵

 Matangi       マークンギー              跨ぎ・マタギ(日本の山地民)

 Chinna        チンナ                    天国・沖縄・姐奴国・茅淳・角

 Sodasi        ショーダシ                証出し・正田氏・小田氏

 Manjugosa     マンジュゴーシャ          万寿行者・饅頭食おうさ

 dhuma         ヅーマ                    妻 十国

 Bagalamukhi   バガラムキ・ムクヒ        場柄向き・麻殻剥き・馬鹿な報い

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