2013年6月26日水曜日

『三国史記』にもある丹波道主王


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:6頁

 この系譜は『記・紀』以外にも

 『先代旧事(くじ)本紀』巻第七『天皇本紀・上』の

 「垂仁天皇」の中にもあり、

 当て字は多少違いはあるが『日本書紀』と同じである。

 そこには后妃の父の丹波道主王は、

 開化天皇の児・彦坐皇子命の子だと書いてあるから、

 それが正しいとすると、

 この皇后たちは開化天皇の曾孫(ひまご)だということになる。

 また『三国史記』の『高句麗本紀』

 「故国川王」中にも「故国川王の后」に

 提那部于素(テナベウス)の娘・于氏を立てたと書いてある。

 この故国川王の名は「国襄(セウ)」で、

 大学講義録17の14頁でお話ししたように、

 孝元天皇の名の「国牽(クニヒク)」に当たる。

 これは「狗奴卑拘」で「高(ク)の彦=高句麗王」を意味するから、

 同じ高句麗王である孝霊天皇の後継者だったことは間違いない。

 すると提那部于素も于氏も、

 女王国の南にあった狗奴国の人だということになる。

 旦波も丹波もパーリ語で、

 タンバ・パンニと書かれて

 インド最南端のスリランカを指す名詞だった。

 南九州では巴利国の南の海上に種子島があり、

 タネ国を沖縄語で読むと「タニマ・タンバ」になるから、

 丹波は種子島への当て字の一つである。

 これと提那部を比較してみると「タ→テ、ン→ナ、バ→ベ」で、

 a(ア)をe(エ)と発音する南九州語だと丹波と同じ名になる。

 また于氏もウシで、美知能宇斯の「宇斯(ウシ)」だから、

 于素も宇斯をウスと読んだものだとわかる。

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