2012年3月31日土曜日

わかった「ウオ」という日本語の語源



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録09:7~8頁

 《わかった「ウオ」という日本語の語源
 「わかった「ウオ」という日本語の語源

 またこの結論から、「青の国」が大国だったからこそ、

 「オオ」が「大」を意味する日本語として定着したこともわかる。

 その東の青の国は「倭国」だったのだから、

 <倭国>は<新羅>や<高麗>よりも大きく、

 <クジラ>で表現される<百済>よりも大きかった。

 そのため<倭国>を意味する「オオ」は「大」の意味だけに使われて、

 <魚>の名前には転用されなかったのだとみると、

 「倭」の南中国音「ゥオー」も、

 またその日本訛りの「オオ」も、北中国音の「ウワイ」にも、

 その国名と共通する<魚>の名は、なくて当然だったこともわかる。

 そして<魚>そのものが「ウオ」と呼ばれているから、

 語源は、ほとんど同じ発音の南中国語=「倭=ゥオー」だったとみると、

 <魚>の「ウオ」という発音こそ「倭」だったのだと理解できる。 
 
 厳密に考えれば、<ゥオー>と<ウオ>は発音が違うが、

 発音は地域によってかなり変わる。

 外国語の発音やイントネーションを、

 そっくりに使えたと考えるほうがおかしい。

 鹿児島語なら長い発音や強いアクセントも、

 すべて短い発音に変えてしまうから、

 「ショウチュウ」は「ソツ」、

 「石灯籠=イシドウロウ」も「イヅロ」と大きく変わってしまう。

 <卑弥呼>のいた倭の首都大隅では、

 「ゥオー」は必然的に短く明瞭な「ウオ」に変化したはずである。

 <倭>は『魏書倭人章』

 七万戸の大屋に老若男女が同居していたとある<邪馬壹国>の前身だから、

 三千戸の<高句麗>とは比較にならない大国だった。

 卑弥呼当時は南九州の東を占め、

 <青の国>であると同時に連邦そのものを支配し代表する大国だったし、

 政変による移動後も<倭国>という国名が当時の日本を代表する政権だったことは、

 『魏書倭人章』から『新唐書』に至る中国の記録でも明らかである。

 間違いなく倭人五彩圏連邦の<宗主国>だったから、

 その国名は個々の魚の名としてではなく、

 当時水棲動物全体を意味した「魚」の総括名として、

 「ウオ=倭」が使われたのは、ごく当然で自然なことだったのである。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月30日金曜日

五彩圏連邦時代につけられた魚の名前



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録10:1頁


 《謎は漢文を読めない者の創作
 「謎は漢文を読めない者の創作

 日本の古代史の原典は『記・紀』以下、

 内外の文献の全てが漢文で書かれている。

 日本の古代史を解明しようとすれば、

 当然、漢文が正確に読めなければだめなことはいうまでもない。

 ところが現実には、

 過去の古代史家の全てが、一人残らずだめだった。

 そのためこれまで一般に

 『魏書倭人章』と呼ばれてきた文献には、

 謎が一杯あるということになっているが、

 それらの『謎』は皆、

 漢文が読めないのに読めるつもりでいるために、

 見当違いな『想像説』を発表してしまった

 愚者の『創作』であって、実際には謎などまるでない。

 それは当然のことで、

 それらの文章の大半が、

 中国の役人が上司あてに書いた報告書なのだから、

 上司にはその内容が正確に伝わっていたのであって、

 その中に『謎=不明部分』があったなら、

 そんな報告書を提出した役人は即座に叱られて、

 クビになったか、書き直しを命令されたから、

 「謎入り」のままの報告書が保存されている理由がない。

 もちろんその内容は、現代の情報のように精密なものではないが、

 「倭人」は魏の政府にとって、どうでもいい相手ではなく、

 卑弥呼に「親魏倭王」の金印・紫綬はじめ大量の贈り物をして

 味方に確保したい相手だったのだから、

 当時としては最大限の情報が祥細に記入されている。

 それは同じ

 『東夷伝』中の他の国々の記事と比較してみると明瞭にわかる。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月29日木曜日

こんなにある「魚と同じ名の姓」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録09:3~4頁

 《こんなにある「魚と同じ名の姓」
 「こんなにある「魚と同じ名の姓」

 魚類図鑑
 魚類図鑑

 アサリ=浅利・麻里・浅井。

 アジ=庵治・安司・阿遅。味~。

 アメノウオ=天の魚(琵琶湖だけにいる)

 アラ=荒。

 アンコウ=安康天皇

 イカ=伊賀・伊香。

 イサザ=五十狭

 イシモチ=石持・石毛智。

 イナダ=稲田。

 イルカ=入川・入鹿。         

 イワシ=岩下・鰯田・岩師・井橋。

 ウナギ=海の貴・棟木・大凧

 オオバ(イワシ)=大場・大庭。

 チュウバ(イワシ)=中馬。

 コバ(イワシ)=木場・木庭・木葉。

 イワナ=岩名・岩国。

 ウグイ=大食→タジー→田尻。

 ウニ=宇根(沖縄発音ウニ)。

 エイ=頴娃・永。

 エソ=蝦夷。

 エビ=恵美・蝦夷。

 オイカワ=及川・老川。

 オコゼ=大小瀬。

 カイ=甲斐。

 カジキ=梶木・加治木。

 カツオ=加治木の魚→カチッオ→勝魚

 カニ=可児。

 カレイ=嘉例川。
 
 =魏・ゲギュウ(外宮)

 キス=岐須・仇首・木津

 キハダ=木皮。

 クジラ=百済。

 クラゲ=倉下。

 コイ=許斐・己斐・古井。

 コチ=高知・徴叱許智。

 ゴマメ=高麗女。

 サバ=佐波・早波。

 サメ=鮫島・醒井・鮫間。

 サヨリ=佐用理=佐依=小夜=玉依姫に対するサヨ

 サワラ=砂原・佐原・早良・草羅。

 サンゴ=三吾・珊瑚。

 シーラ=椎良・白・斯羅・新羅・志毘羅。

 シジミ=志治味・洒水。

 シビ=志斐連・阿部と中臣にある

 シャチ=幸

 スガイ=菅井・須貝。

 スズキ=鈴木・寿松木。

 スバシリ=砂走

 スルメ=水流女

 タイ=田井。

 タコ=田子・多胡。             

 タナゴ=棚川・多奈川

 タニシ=谷下・谷重

 タラ=太良・太良・田羅・多羅。

 トビウオ=鳥見・富尾。

 ドジョウ=土酋

 トミヨ=富尾・富代・十三代。

 ナマズ=生津・鯰田

 ニシン=西野

 ニナ=蜷川。

 ニベ=仁部

 ハエ(ハヤ)=芳養・速・隼

 ハゼ=枦・羽瀬・土師・長谷・泊瀬。

 ハタ=波田・波多・羽田・秦・畑。

 ハタハタ=秦

 ハマチ=濱地、羽町。

 ハモ=韓(ハン)

 ヒガイ=比嘉

 ヒラメ=比良女・新羅女

 フカ=深尾・深田・深日。

 フク=福

 フナ=二名・鮒・船井・舟木・船田・船の史。

 ブリ=武利・武衛・風流・佐分利。

 ボラ=坊・洞

 マス=増田・升・桝川・舛添・益城。
     
 マベ=間部

 マルタ=丸田・円田。

 ムツ=陸奥・武津。

 ヤマベ=山辺・山戸・屋麻戸。

 ワカマツ=若松・新松。

 ワニ(鮫)=和邇・王仁・和二・羽仁。

 この姓と同じ魚名をつけた人たちが、

 「大きさ」に関心ががあったことがわかるといったが、

 それは<魚>を<個体の大きさ>順に配列してみると、

 最大の個体をもつ<クジラ>が<百済>の名と共通点がいちばん多く、

 大魚のひとつ<シーラ>と<新羅>も共進しているなどの事実から、

 この二つは<百済>が超大国だった時代に、

 国名をもとにして魚の名がつけられたものとみると、

 <国の大小>が<魚の大小>に反映していて、

 <魚の命名>に一定のシステムがあったことがみえてくる。

 しかし、百済・新羅があるのに、

 もう一つの大国「高句麗」がないじゃないか…と疑問が残る。

 実はそれもちゃんとあるのだが、

 これは国名が当時の正しい発音では「コークリ」ではなかったし、

 当時の魚名の命名原則を前もってお話ししないと理解できない。

 これらの名はみな日本人がつけた名だから、

 高句麗を「高麗」と呼んでいた。

 『日本書紀』にはすべて『高麗』と書いてあって

 一度も<高句麗>とは書いてないのである。

 では<高麗>と書いて、なんと発音していたのか?。
 
 『日本書紀』には発音符号も説明も書いてないので、

 漢字だけでは発音は不明で、

 これまでは<コマ>とか<コウライ>とか、人によってまちまちだった。

 ところがこの魚名でその謎がとけた。

 「日本の魚名の特徴」は頭に

 「マ」をつけて呼ぶものが多いことだ。

 「マダイ=タイ

 「マアジ=アジ

 「マダラ=タラ

 「マゴチ=コチ

 「マハゼ=ハゼ

 「マボラ=ボラ

 「マイワシ=イワシ

 「マギス=キス

 「マダコ=タコ」など。

 この<高句麗>と同じ名の魚は「マグロ」だったのである。

 この「マダイ=タイ」「マダラ=タラ」「マゴチ=コチ」「マギス=キス」「マダコ=タコ」を

 みると、<<マ>がついたものは全て<マ>に続く発音が濁る>。
 
 <タ>は<ダ>になり、<コ>は<ゴ>になり、<キ>は<ギ>になっている。

 「マグロ」も本来は「クロ」だったことがわかる。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月28日水曜日

なんと!魚と同じ『苗字』!



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録09:1~2頁

 《なんと!魚と同じ『苗字』!
 「なんと!魚と同じ『苗字』!

 日本が誕生したころを研究していると、

 日本人の<苗字>(みょうじ)が、

 ずいぶん古くから使われていたことがわかったことからお話しにはいろう。

 日本人の<苗字>は、

 これまでは、明治になって新しく<戸籍制度>ができたので、

 それまで<苗字>のなかった人たちが、

 あわてて寺の坊さんなどに急ごしらえでつけてもらったために、

 田にかこまれた家は田中さん。

 山の下だから山下さん。

 砂原の隣りだからと砂原さんとつけたといったふうに教えられ、

 たいていの人がそう思いこんでいる。

 だが、それは落語や漫才のお笑いネタにすぎず、

 本当の歴史をしらないお笑いのネタ作家が、

 思いつきで作った間に合わせの話しが、

 いつのまにか事実のように広まったウソの常識にすぎなかった。

 砂原さんはもとの発音は「サワラ」さんで、

 それは佐原さんと同じ先祖が、

 ヒミコより昔につけたたいそう歴史のある立派な苗字で、

 けっして隣りに砂原があるからと、

 明治になってからアワテテつけた、

 いい加減な符号ではなかったのである。

 どうしてそんなに強く言い切れるか?…。

 それは動かない理由があるからだ。

 その理由とは、古代日本人の姓には

 「魚と同じ名が原則的につけられたもの」があるという事実が確認でき、

 それがヒントになって古代日本人の<姓>の謎が完全に解けたからなのである。

 砂原・佐原の発音「サワラ」は、

 美味で知られた魚の「サワラ」とぴったり同じ発音である。

 もちろん、こうしたことは昔から気付かれていたが、

 ごく希な偶然の一致ぐらいに思われて、

 誰も真剣に考えてみようとはしなかった。

 だが調べてみるとその数は、

 とても「偶然の一致」で済ませるほど少しではない。

 ちょっと拾いあげてみても次ページのようなものがみつかる。

 しかもその中には、

 厳密には魚類以外の水産物もあって、<魚の名>といってしまうと、

 非科学的だとお叱りをうけかねないほどである。

 だが命名者が古代人で、

 彼等はそれらの<水産動物>をおおまかに、

 すべて「魚」として分類していたのだから、

 その分類を専重しないと、

 彼等の命名の真意は読みとれない。

 何でもかでも科学的になどといっていると、

 いちばん重要なものを自分で捨てて見失ってしまう。

 といった研究上の視点のありかたなども考えながら、

 この間題をお読み戴きたい。

 この<魚の名の姓>をつけた人たちは、

 まず大きさに関心があったことがわかる。

 それは<魚の個体>の大きさ順に例を拾いあげるとよくわかる。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月27日火曜日

徹底立証で真実を復元すること



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:30頁

 《徹底立証で真実を復元すること
 「徹底立証で真実を復元すること

 言語復原史学の長所は徹底した立証で真実を復元することにある。

 絶対に軽薄なニセ学者は出ない。

 あなたご自身もこの点に深くご留意戴いて常に反省し、

 周囲に眼を配って、

 充分な目利きができるよう、

 『心』の学問を心掛けて戴きたい。

 これで、偶然だという非難や論争は、

 根本的になりたたないことがおわかり戴けたと思う。

 反論するなら、それ相応の論点と証拠を列挙して、

 堂々たる論陣を張らなければならない。

 あなたもこれから論陣を張り論争をなさることになるが、

 このことをよく理解して、

 本講座を活用して戴きたい。

 では偶然といわなければいいのか?…次の例題に移って、

 検算をしてみよう。

 「鬼奴国」は畿内説論者によると、

 キノクニと勝手な読み方をして紀州すなわち和歌山県だといったり、

 関東論者の中には、

 文字が共通していると鬼怒川あたりだと主張する者もある。

 これらの弱点は、

 3世紀当時の漢字の発音に全然無知だということと、

 距離の計算が余りにも粗暴で、伊都国以南という限定条件も、

 伊都国からの方位もまるで考えることのできない粗雑きわまる幼稚な主張である。

 これらは偶然説よりはましのようだが、

 やはり不真面目きわまる思い付き説にすぎず、

 まともに取り上げることは時間の無駄だというほかない。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月26日月曜日

責任をもてる研究、責任ある発言



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:29頁

 《責任をもてる研究、責任ある発言
 「責任をもてる研究、責任ある発言

 在来の明治型学問と逢って、

 現在の学問上の論説は徹底した立証が要求される。

 ただ「偶然だ」という程度の発言だけでは、

 発言者の知能指数の低さを自分で宣伝するだけである。

 「書く」ことは「恥をかく」ことだという優れた諺があるが、

 今では「口に出して言う」だけでも恥をかく。

 なぜならマスコミや視聴者のもつ録音器材が、

 「書く」のと同じ働きをするからである。

 何を見ても聞いてもその深さがわからず、

 単なる偶然としか感じられず、

 説明を聴いてもその真意が理解できない人が多いことは、

 人類の現状ではどうしようもないが、

 いやしくも他人の研究を批判しようというのなら、

 相手以上に知性的でより論理的な立証力がなければ、

 批判する意味も、価値も、資格もない。

 発言には常に、また永久に責任が伴うのである。

 本講座は、世界に恥じない研究者を養成することが目標である。

 ただ単に歴史の謎解きの小手先だけの技術を指南しようというのではない。

 真に重要なのは何かということを、折りに触れ、

 機会があるごとに強調するように努めているのである。

 ただ謎さえ解ければいいのではない。

 たとえ多くを望まず、研究も趣味程度にとどめている方々でも、

 これだけは忘れてはならない基本的なモラルだ。

 業績は必ず責任を伴うものなのである。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月25日日曜日

「偶然論者」はペット並み人種



『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:28頁

「偶然論者」はペット並み人種
「偶然論者」はペット並み人種

そして、それらの事実記録と内容が完全に一致している、

発音も歴史もその土地の性質もすべての点で食い違いの見つからない4つもの地名が、

いまなお実在している。

これが「単なる偶然」とすれば、

「なぜ単なる偶然によって、そんなにも多くの一致点をもっているのか?、

それはなぜか?、なぜそれでも偶然なのか?」

という理由を、

偶然論者は誰もが納得のいくまで証拠を挙げて、

徹底的に説明する義務がある。

その説明が論理的に完全に筋が通って、

公正な第三者に正しいと認められて、

始めてその「説」は成立するが、

曖昧で納得できなければ成立しない。

だが「偶然説」は成立することは絶対にありえない。

なぜなら「偶然」とは、

「原因も理由もなく、たまたま、そうなった」というだけの、

論理的な原因究明が不可能な人間が使う曖昧な言葉でしかない。

一つでもその理由が説明できれば、

それはもう偶然なとではないからである。

私たちには「なぜ、そうなったか」

原因と結果とが簡単にわかる出来事でも、

ペットには、何がなんだかわからない。

彼等は原因の説明がつかない。

人間が使う「偶然」という表現は、

このペット並み知能指数のバロメーターなのだ。

ペットと論争する人は余りないが、相手が人間だと、

こうしたことを見落として論争してしまうが、

それは根本的に無駄なのである。

『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録 
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ 
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに    
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」

『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』 

『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月24日土曜日

対立する旁国と非旁国との検算



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:27頁

 《対立する旁国と非旁国との検算
 「対立する旁国と非旁国との検算

 以上で、『魏書倭人章』が記録していた旁国は卑弥呼政権以前のもの、

 横川、牧園の2つは壹與政権以後のものということは決定的になった。

 しかしこれを疑ったり、

 対立する立場にあったりして、

 この答えを受けいれない人々が、

 「よく似た地名がたまたま並んでいるだけではないか」と、
 
 「偶然にすぎないから歴史とは無関係だ」と結論している。

 これは別に論理的に証拠を並べて、

 間違いを立証しているわけではないが、

 その異なる結論なら疑問点は残らないかと、

 相手の視点、相手の立場から検算してみることは必要だ。

 この場合なら、

 栗野、十文字、横川、牧園が示した様々な一致を、

 「偶然」と決論した論者は、

 「多数の偶然が実在するのだから、

  私の、主張が正しいのだ」

 と立証できたことになるだろうか?…。

 これに確定的判定を下すには、

 この対立する2つの結論が、

 「どちらが論理的に優っているか」を比較してみれば、

 確定的に判定できる。

 今では、私たちの努力で、

 卑弥呼政権崩壊という歴史的大事件が事実起こったという伝承記録が、

 日本の『記・紀』その他の国内歴史文献に記録されていることが、

 明確に確認されており、

 また一方にはその事実を、

 その事件が発生した前後にわたって現実に九州までやって来て

 記録した帯方郡使の客観的な報告記録が、

 『魏書倭人章』として実在している。

 《『魏書倭人章』


 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月23日金曜日

地名こそ最重要『文化財』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:26頁

 《地名こそ最重要『文化財』
 「地名こそ最重要『文化財』

 これまでは、

 ここが旁国比定地だと挙げてみても、

 「よく似た地名がたまたま並んでいるだけではないか」

 と軽視されがちだったが、

 以上の横川牧園の例で、

 『魏書倭人章』の旁国を

 考えに入れなければ理解できない語源と命名理由を

 見つけだすことができた。

 それは旁国に入らない隣接地名のもつ真意を考えたからで、
 
 これと同じ技法は畿内説がいう旁国候補地、

 例えば先述の和歌山県伊都郡や、

 巴利国に対する播磨(兵庫県)などとその隣接地でも応用できる。

 それらもまたその地名相応に、

 同様の歴史をもっているからである。

 それらはこれまで畿内説を支えてきたが、

 畿内説が瓦解した現在、

 それらの畿内説旁国群はどんな歴史を物語るか…非常に興味がある。

 この旁国問題はそこまでやって終るのである。

 誤解のないように、もう少しつけ加えておくと、

 ヨッガーとヨコガワとの場合は標準語読みで謎が解け、

 マッゾンとマキゾノの場合は大隈語読みで謎が解けた。

 逆になっているが、

 横川の場合は、

 鹿鬼島語に不慣れな読者のために

 私(加治木義博)が標準語を使って説明しただけのことで、

 地元ではヨッガーと発音しても、やはり「ヨコ側」の意味として通じるのである。

 以上で、

 地名がどんなに有力に歴史を物語るか、どれほど貴重なものか、

 心からおわかり戴けたと思う。

 それは何一つ語らない億万の出土品よりも貴重な文化財なのである。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月22日木曜日

「旁国」は卑弥呼政権時代のもの



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:25頁

 《「旁国」は卑弥呼政権時代のもの
 「「旁国」は卑弥呼政権時代のもの

 この横川と牧園と溝辺という3つの地名が旁国中に入っていないことで、

 『魏書倭人章』が記録した「旁国」とは、

 卑弥呼政権時代のものであったことが確認できた。

 このことには、まだ他に別の視点からの証拠もある。

 それは古代の地名には意味があって、

 現代のように、人が溢れてどんどん造成地が殖えるために、

 いい加減につけるような命名法は古代にはなかった。

 それらは必要最小限につけられたもので、

 それには自分で部族や身分を示す名をつけた場合と、

 外部の者がその土地の住民に対する呼び名をつける場合とがあるが、

 どちらも明瞭にその住民や土地の性格を記録しているものが、

 ほとんどである。

 それらの地名には、

 どちらの場合もそれぞれの部族的背景がつきまとっており、

 その部族なり政権なりの歴史を記録している。

 綿密に地名を検討すれば、

 刻み込まれているそれぞれの歴史が浮かび上がって来る。

 それだから、

 その当時の歴史の真相がわかるにつれて、

 さらに次からつぎへと答えを手繰って、

 深く史実を知ることができるのである。

 戦後の日本では、

 この事実に無知な自治体の公務員や、

 それと大差ない知識しかない学者が、

 平気で地名を勝手に変えてしまった。

 その罪は近い将来、必ず批判非難されると思う。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年3月21日水曜日

地名の検算



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:23~24頁

 《地名の検算
 「地名の検算

 横川と加治木と隼人に囲まれて「溝辺町」がある。

 ここはいまは「ミゾベ」と発音するが、

 ここも横川と同じで、溝もなければ溝のそばにもない。

 この地名も旁国以後につけられた位宮側の地名だから、

 溝の字は「コウ」が元の音で、

 高句麗を指す高都か、高屋山上陵の「神戸」とみると、

 いずれにしても「コウベ」と発音するものだったが、

 日本統一後の713年(和銅6年)に出された官命によって、

 強制的に読み替えが実行された際などに、

 ミゾベにされてしまったものとみると、

 隣接する巴利国が近畿に移動した先の播磨(兵庫県)の首都が、

 やはりコウベという地名をもっているのと、

 互いに証明し合っていて少しも食い違いがない。

 それらの境界線をみると、

 もとの鬼奴国から横川が分割され、

 郡支国から溝辺が割かれ、

 巴利国から国分と牧園が割かれた事情が明瞭に理解できる。

 「地図」

 鬼奴国(栗野)

 屋久側(横川)

 馬津国(牧園)

 霧島

 神戸(溝辺)

 郡支(加治木・十文字)

 巴利国(隼人)

 邪馬壹国(国分市)

 錦江湾(鹿児島湾)

 また郡支の「ジュヌ・チー」という漢字音の語源は、

 巴利の名が示す仏教都市の言語パーリ語の

 「 janati 」に対する当て字とみれば

  janati 国は「知の国」という意味だから、

 「賢者の集まるところ」か「学園都市」だったのだ。

 それが漢字で十の字、十文字と当て字されたことから、

 ギリシャ系住民がギリシャ式十文字である「カディキウス」と呼び、

 それが省略された「カディキ」に「加治木」という当て字が生まれたとみると、

 この加治木町や周辺の地域に力士の寺尾吉永小百合榎木孝明上原謙のような

 ギリシャ系の容貌をもった出身者が多い理由も、

 立体的な重層になって互いに立証しあう。

 これらの地名は間違いなく邪馬壹国当時の分割命名の遺物だと断定しても、

 反論はできない。

 この程度みただけでも旁国と非旁国との関係は次から次へと連鎖反応を起こして、

 3世紀の史実を展開して見せてくれるから、

 このシステムは非常に重要なのである。

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状