2013年4月30日火曜日

『古事記』の神名に隠された「史実の暴露」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録23:4頁

 《『古事記』の神名に隠された「史実の暴露」
 「『古事記』の神名に隠された「史実の暴露」

 これまで『日本書紀』の原典だとされてきた『古事記』は、

 研究すればするほど、

 過去の国史学者の解説が情けなくなるほど、

 複雑で深刻な内容を秘めている。

 そして過去の述作の大半が、

 どんなに無駄な想像説にすぎなかったか思い知らされる。

 それは『古事記』編集者が激しい情念をこめた、

 開巻第一の創世妃の部分の神名に特に凝縮されていて、

 それだけでも『古事記』が何を目的にした作品だったか、

 その真相を明瞭に物語るからである。

 単なる古代人の思いっきとされた神名を分析していこう。

 天 之 御 中  主 神  

 テンノ ミチュウ ヌシシン  

 天之  美紐   縫 神 

 テンヌ ビチュ  ヌウ神

 丹波  美知   之大人

 タンハ ミチ   ノウシ

 この丹波の道の大人は垂仁天皇の皇后・日葉酔姫の父である。

 その名の原名 Visnu とは「創世者」という意味で、

 パーリ教典『 Nidessa 』にもこの神のことが書いてある。

 Vis とは「あまねく満ちる」ことで、

 日本語の「ミツ=満つ」はこの「ビス」がミツに訛ったものだとすぐわかる。

 こうして最初の神名が、

 丹波の道の大人という実在した人物を神に

 仮託したものだとわかったのだから、

 後の神名も同じである可能性が強い。

 慎重に検討する必要がある。

 なお丹波は「 tanha タンハー 愛」が卑弥呼と共通するので、

 語源だとも考えられる。

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2013年4月29日月曜日

卑弥呼らが残した歴史書はどうなったか?




 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録23:3頁

 《卑弥呼らが残した歴史書はどうなったか?
 「卑弥呼らが残した歴史書はどうなったか?

 卑弥呼の鬼道の正体が仏教だったことが、完全にわかり、

 彼女がソナカ夫人だったことが真実だったとわかると、

 『日本書紀』に収録されている

 ソナカの記録=足仲(ソナカ)彦・仲哀天皇と

 息長(ソナカ)帯姫・神功皇后の伝記と、

 蘇那曷(ソナカ)叱智と

 その別名で書かれた記事と『天の稚彦物語』が、

 『魏書倭人章』以外の文献に記録された

 「卑弥呼の歴史」として復元できることになる。

 それらの記事は何に基づいて書かれたものなのか?。

 在来の歴史家は『古事記』の序文に書かれた

 『帝記・旧辞』の名を口にするだけで、

 鬼道の実体も

 卑弥呼の首都国がパーリ国=巴利国だったことも全然知らず、

 具体的な事実はまるでなに一つわからず、

 考えたことすらなかったが、

 私たちは

 卑弥呼たちがパーリ語に精通していたことまで全て発見ずみである。

 卑弥呼は自分のパーリ語名に対して漢字で

 「卑弥呼」と当て字して署名することもできた。

 漢字が書けたことはわかっているが、

 その署名の漢字は、

 魏の皇帝あての手統だから漢字で書いたのであって、

 ふだんメモしたり、

 自分たちのあいだで取り交わしたり、

 記録に残したりするものまで漢字で書いたとは思えない。

 後世に『記・紀』が漢文体に翻訳した彼女たちの歴史の原典は、

 どんな言葉や文字で書き残していたのか、

 それを見つけ出せれば

 『記・紀』以前の『史書』が発見できたことになる。

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2013年4月28日日曜日

カピラの遺物がなく異教の神名のついている奈良



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:32頁

 《カピラの遺物がなく異教の神名のついている奈良
 「カピラの遺物がなく異教の神名のついている奈良

 繰り返しになるが、

 今の文部省が「応神天皇以前は神話」として、

 義務教育から抹殺してしまっている根拠学説=津田左右吉氏の論文は、

 「膂宍の空国」を「そじしのムナくに」と読み、

 「背中の肉のように痩せた国」と書かれたような未開地が、

  どうして皇室の発祥地であり得たであろうか。

  神武東征が、日向を出発点にしているのは、

  実におかしなことである」と主張し、

 戦後の唯物史観学者らもそれを受け売り、

 一種の定説化していたが、

 この「空国」もカラグニへの当て字であることは一見してわかる。

 津田氏が「そじし」と読んだ「膂宍」も、

 膂は<リョ>で背骨、膂力は体力のことで、

 宍は獣の筋肉、どちらも「強力なもの」を表現する文字である。

 「膂宍の空国」とは

 「背骨や獣の筋肉のように強く逞しく充実したカラグニ!」

 と誇って褒めた讃辞で、

 それを逆に「痩せた…」などと形容するはずのない、

 明瞭な内容の文章に使われた用語だ。

 在来の文学博士はこの程度のものだったのである。

 それ以上に問題なのは、

 邪馬壹国が奈良にあったのなら、

 カラグニやカピラに合う地名や、

 それから派生した地名が、

 鹿児島のように複合してあるはずだが奈良には葛城以外はない。

 また卑弥呼当時から大和朝廷が移動しなかったのなら、

 カピラのままのはずなのに、

 ナラはシンドゥの神の名でもある。

 こうした証拠も邪馬台国大和説の救い難い決定的致命傷なのだ。


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2013年4月27日土曜日

今も生きているインド・日本・韓国のトリプル語



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:31頁

 《今も生きているインド・日本・韓国のトリプル語
 「今も生きているインド・日本・韓国のトリプル語

 「…に面する」というのを、

 日常語では「…に向かう」というが、

 この日本語がこのムカの子孫であることは、いうまでもないと思う。

 これもインド語が語源だったのだ。

 それよりも面白いのは、この金剛子という木の実の正体が、

 このことから見つかるという事実である。

 我が国では

 今も黒くて硬い木の実(羽根つきの羽につける実)を連ねた数珠を造っているが、

 その実の名は「ムクロジ=木槵子」「 mukha ムクハの子 」という語源がすぐわかる。

 ここで注意がいるのは、「ロジ」がなぜ「の子」かという点である。

 「ジと子」は同じだとすぐわかるが、「ロ」と「ノ」はちょっとわかりにくい。

 しかし幾度も繰り返したように、いちばん手短かな説明は、
 韓国(カンこく)の元大統領・盧大愚(テイウ)さんの姓だ。

 この「盧」は日本読みでは「ロ」だが、韓国読みでは「ノ」だ。

 だからムクロジは韓国では「ムク ノ 子(ジ)」と、

 日本語よりよく意味がわかる。

 日本語と韓国語はずいぶん違うように感じるが、

 方言関係にある。

 それは当然のことで、

 韓国という国号さえもがシバ神の別名「カラグニ」の子孫で、

 姶良郡から出たものだったのだ。

 それだけではない。

 私たちの日本語は、

 駿河 シュンガをスルガ、

 敦賀 トンガをツルガ、

 角我 ツノガをツルガと、

 n 音をr 音にして発音している。

 こうした実際の例で、

 それが日本語のクセなのだと、ご納得載けたと思う。

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『日本』の語源と邪馬壹国の宗派の細部



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:30頁

 《『日本』の語源と邪馬壹国の宗派の細部
 「『日本』の語源と邪馬壹国の宗派の細部

 その邪馬壹国の宗教はシンドゥのどんな宗派だったか、

 その細部までよくわかっている。

 その邪馬壹国の所在地=

 7世紀に小国・日本だった地域の北東部の国境には大山があると、

 旧『唐書』が記録していたが、

 その霧島山塊の主峰を「韓国見岳(からぐにみだけ)」といい、

 その「カラクニ」とは、

 その峰から眼下に見える姶良(あいら)郡すなわち姶良郡のことであって、

 韓国(カンこく)のことではない。

 そこからは朝鮮半島までは、

 とても見えないと前にもお話ししたが、

 一見、日本語に見えるそのカラクニは

 日本語か、どんな意味、どんな語源をもった、

 何語なのか?と調べてみると、

 それはシバ神の別名の一つ

 「 kalagni カーラーグニ 」とぴったり合うのである。

 こちらは長く引っ張るが、

 南九州語は発音を短かくする特徴があるから、

 それがカラグニになるのは自然なことなのだ。

 これも偶然だと思う人もあると思うが、

 これには偶然でない証拠が多数セットになって揃っている。

 シバ派は金剛子(し)という玉(たま)を

 連ねた数珠(じゅず)をトーテム装身具として身につけるが、

 この数珠を「 japamala ジャパンアーラー 」という。

 現在、

 日本の意味をもつジャパンの語源がこんなところにちゃんとある。

 日本という国号は、

 この「 ja 」に「日」を、

 「 pam 」に「本」を

 当て字したものだったのである。

 この「金剛子」」は木の実なので表面に隆起がある。

 それを「 mukha ムカ=面」と呼ぶ。

 日向の「向」もまた、このムカである。

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2013年4月25日木曜日

大和政権が強制した発音「アイラ」郡



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:29頁

 《大和政権が強制した発音「アイラ」郡
 「大和政権が強制した発音「アイラ」郡

 だがこれでは卑弥野原の崩壊、移動後に、

 卑弥呼と対立する宗教の支配者・もと高句麗王・位宮が、

 壹與を表に立てて『邪馬壹国』を建国した史実と逆になってしまう。

 この答は10世紀の『倭名類聚鈔』にある。

 「大隅国・第百三十二」に姶羅郡がある。

 この時代には大隅も平安京朝廷の支配下にあり、

 信仰や住民感情とは関わりなく、

 なるべく有名な歴史的地名が採用されて、

 行政区画名になったのである。

 これにも証拠がある。

 それは「アイラ」という発音は「南九州語ではない」こと。

 下記の可愛山陵が埃(えの)山陵と呼ばれるように、

 南九州語なら

 「アイ」は必ず「エ」と発音されるのに

 「アイ」と発音されていて、

 地元でも決して「エラ郡」とはいわない。

 この発音の特徴は地元で呼んだものではなく、

 国名変更を命じた大和政権がつけた発音だった証拠なのである。

 だが観点を変えるとこれも卑弥呼が姶良郡に居たという知識を、

 大和の役人がもっていた証拠である。

 それだけではなく、

 上記の神代三山陵の一つを『可愛山陵』(川内市)として

 『延喜式』の陵墓のトップに挙げている。

 それは天智・天武両天皇の焚書で消された

 史実に対する不満から繰り返された隼人の大反乱など、

 この南九州地域統治の難しさを反映して、

 被葬者の実体があいまいになっているが、

 その「愛」の名は明らかに卑弥呼のものである。

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2013年4月24日水曜日

「シバ信仰の国」から「愛の国」へ



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:28頁

 《「シバ信仰の国」から「愛の国」へ
 「「シバ信仰の国」から「愛の国」へ

 この「カラグニ」だった地名が、

 全く別の「カピラ」へ変わってしまった事実が、

 厳としてここにある。

 一体、なぜ?。誰が?。いっ?。

 どうして変えたのか?。

 これを検討するには不可欠の一つの重要なキーがある。

 それはカピラが仏教徒のシンボルだったことである。

 カラグニを消してカピラに変える必要があったのは、

 カラグニが他の宗教のシンボルだったためということになるから、

 「なぜ?」だけでなく

 「誰が?・いっ?」の二つも解ける。

 それは「卑弥呼が」

 「仏教の女王として君臨したとき」である。

 ここまでわかると、

 「どうして?変えたのか?」も詳しくわかる。

 仏教と対立する信仰に「カラグニ」というシンボルがないか、

 調べてみればいい。

 すると「カラグニ」というのは単なる国名ではなくて、

 シバの別名だということがわかる。

 シバはいうまでもなく、

 仏教と対立する宗教・シンドゥの最高神の一人である。

 それを消して仏教徒にとって神聖な国名・カピラに変えたのだ。

 という明快な答がみつかる。

 しかしその姶良郡が、

 今ではカヒラではなく「アイラ」になっている。

 これはなぜか?。

 「アイ」は卑弥呼の名の「愛」と同音で、

 ラは国だから「愛の国」。

 これはそれ以前はシバ信仰の国だったものが、

 卑弥呼政権の倭国になったときにしか生まれない読み方である。

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2013年4月23日火曜日

カラグニからカピラに変わった姶良郡



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:27頁

 《カラグニからカピラに変わった姶良郡
 「カラグニからカピラに変わった姶良郡

 以上で卑弥呼の鬼道が仏教だったことは、

 もう充分に確認できた。

 すると沖縄県に実在する「川平 かびら」は、

 カワヒラでなくてカビラであることから、

 仏教徒にとって重要な名に当て字した名残だと気がつく。

 古代沖縄では「ピ」だたったものが、

 後世は「ヒ・フィ・ビ」になっているから、

 川平の原音は「カピラ」。

 釋迦=Gotama Siddhartha ゴタマ シッダハールタが生まれた

 「Kapila カピラ」王国と同じ名だからである。

 このカピラは鹿児島県に入ると当て字と発音が変わって、

 片平、兼平、阿平などになる。

 このうち阿平はアヒラと読むから、姶良も仲間だったことがわかる。

 姶の発音は「合」と同じで「カッ・カフ・カヒ・アヒ」。

 姶良も「カヒラ」への当て字だからである。

 ところが、この「カピラ」国・姶良郡は、

 それ以前には「カラグニ」だったことがわかっている。

 「姶=カッ 良=ラ 郡=グニ」で、その事実を証明するのが、

 よくご存じの韓国(カラグニ)見岳(ミだけ)だが、

 そのほかにもこの郡名の大隅発音「カラグィ」への当て字

 「葛城(カツラギ)」が地名や姓になって、

 姶良郡を出発点に東は近畿にまで広がり。

 北へ伸びたものが「韓国(カンこく)」になったことは疑う余地がない。

 『魏書 東夷 韓章』は卑弥呼の死以前の記事だから、

 馬韓、弁韓、辰韓、このカラグニの子孫で、
 
 元のカラグニがカピラに変わったことがわかる。

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2013年4月22日月曜日

卑弥呼の「鏡が好物」の真相



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:26頁

 《卑弥呼の「鏡が好物」の真相
 「卑弥呼の「鏡が好物」の真相

 だが卑弥呼は、

 さらに大きな影響を、

 今なお、

 愛する日本の女性たちに与え続けているというお話しを、

 ここでどうしても付け加えておきたい。

 それは日本の女性名の最大の特徴である

 「○〇子」というスタイルこそ、

 世界に類を見ない最高の命名方式であって、

 日本文化の高さを象徴する偉大な文化財なのだということである。

 欧米の命名様式は、単に故人名を踏襲するだけであるのに対し、

 「○○子」は女性語尾の「子」だけを規定し、

 個性を表わす「○○」部分は各自の創意工夫に任せて自由にしてある。

 これなら無限大に新しい名が創造できる。

 欧米のように同じ名がひしめき合っているような無残なことには、

 原則としてならないからである。

 それが卑弥呼の名の影響だという好例は、

 光明皇后の裸名「光明子」である。

 光ヒカル・明 ミョウ・子コという万葉ガナだ。

 アヴァ ロキ テスヴァラ の

 最初の訳語「光世音」と

 光明子は二重に重なって、

 あることを教えてくれる。

 ヒカルとは「日借る・火借る」という関西語で、

 反射光のことである。

 これは鏡が最大の機能をもつ。

 卑弥呼はこの鏡の機能を、

 比喩として上表文に使った。

 それを魏帝らは「鏡が好物」と誤解したことがわかる。

 光明子の名はこれだけの真相を物語る。

 日本中の○○子さんも同じ機能をもっているのである。

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2013年4月21日日曜日

弥勒(みろく)菩薩も観世音菩薩の仲間、歴史上の人物



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:25頁

 《弥勒(みろく)菩薩も観世音菩薩の仲間、歴史上の人物
 「弥勒(みろく)菩薩も観世音菩薩の仲間、歴史上の人物

 これで卑弥呼と観世音菩薩との関係が、

 釋迦が弟子に説いたとされる

 アヴァ ロキ テスヴァラ から、どう展開していったか、

 『観音経』の文面を読めば転化の原因から結果までがアリアリと見える。

 その愛・慈悲をマレー語系の人々がカシーと呼んだ。

 それが「光世音・観世音」と当て字されたために、

 菩薩名と受け取られ、

 南中国から周辺に信仰が広まったが、

 それは様々な民間信仰にまで分化、

 今なお「女神・聖母」と崇拝され続けている。

 彼女は死後、夫・ソナカの廟に妻・神功皇后として合祀され、

 カシーは香椎という地名を生んだが、

 それが7世紀に天智天皇即位地になったため、

 「カシハラ=カシー政府」という名が、

 『記・紀』編集の混乱から奈良の地名だと誤認された。

 だが福岡の「カシー=香椎」がなければ、

 橿原の名が神武建国地名として国史に登場することもなかったのである。

 これでもまだ

 「卑弥呼が菩薩だなんて…」と不安にお思いの方々のために、

 もう少し付け加えておこう。

 菩薩 Bodhi sattva  とは

 仏の心で教化する人のことで、

 神仏の名ではない。

 観世音と並んで有名な弥勒(ミロク)菩薩も、

 生死の年は不明だがA.D.270~350頃の歴史上の人物で、

 『分別説瑜伽(ヨガ)論』など

 7種の弥勒真撰が彼の著書であるとはっきりしたので、

 今では唯識(ゆいしき)派の開祖だと認められている。

 菩薩とは釋迦が実在者なのと同様、本来、実在者をいうのである。


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2013年4月20日土曜日

「一個の石」の証明力



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:24頁

 《「一個の石」の証明力
 「「一個の石」の証明力

 しかし一層、念を入れて

 「阿蘇の石」について考えてみよう、

 仮に卑弥呼が奈良に都していたとすればどうなるだろう?。

 その場合は、阿蘇山の石がどれほど珍しくても、

 はるかな異郷である熊本県から、

 わざわざ取り寄せる意味も必要もない。

 また卑弥呼が奈良に居たのなら、

 九州のその山は仏教とは無縁なのだから、

 アソカ王と結ばれて「阿蘇火山」と命名されることも絶対にない。

 とすれば、死んだ天皇のためにそんな山の石を、

 交通不便な時代に、

 重い思いをして、

 はるばる近畿まで運んできて古墳に副葬する必要が何故あるのか?

 理由が全くわからない。

 それも一度だけではない。

 幾度も同じことが繰り返されているのである。

 私たちがこれまで知り得た史実によれば、

 ごく当然な行為で何の不合理もなく、

 我々だって同じことをしたであろうと納得の行く

 「阿蘇の石」副葬が、

 卑弥呼が奈良にいたと仮定しただけで、

 こんなにも不合理になり、理由不明の暴挙が、

 それも一度だけ気紛れに行なわれたというのではなく、

 歴代の天皇が愚かにもたぴたび繰り返したことになってしまう。

 もう、これ以上は議論するのがバカバカしいほど、答ははっきりしている。

 無学な人には

 「たかが1個の石」にしか見えないだろうが、

 それはこんなにも明確に、

 卑弥呼のいた位置と信仰を明瞭に限定して確定し、

 固持しているのである。

 真実ほど強力なものはない。

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2013年4月19日金曜日

万世一系を否定する『天皇家=神道説』



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:23頁

 《万世一系を否定する「天皇家=神道説』
 「万世一系を否定する「天皇家=神道説』

 そして『隋書』の時代になっても、

 山は阿蘇山ただ一つだけが特記されている。

 以上はすべて、天皇家が九州出身で仏教徒だった証拠だ。

 これを否定する者は天皇家の万世一系を否定する者である。

 そうした歪んだ見方の原因は、

 明治の政治屋が

 彼らの軍国主義にとって

 天照大神=卑弥呼流の「愛・慈悲は」非人道政策遂行の

 敵だと考えて、廃仏棄釋(きしゃく)を強行し、

 義務教育を悪用して「日本は神国だ」と国民に教えこみ、

 日本を職業軍人集団の私物化し、

 国家、国民を育てるどころか、

 戦禍で尊い国艮の生命を奪い、

 全世界の人々に甚大な惨禍を

 及ぼした揚げ句、

 「絶対不敗の神国」と自称した大日本帝国を敵に蹂躙されて、

 むざむざと滅亡させてしまったことにある。

 この罪科にまみれた極悪非道な犯罪者を批判すらできず、

 今だに日本は神道国だと口にする者は、

 日本国民の敵であるばかりか、

 天皇家の敵でもあることを、はっきり認識して対処する必要がある。

 これでもまだ疑う者は、

 卑弥呼と同じ仏教国チベットの僧侶が、

 日本のものと同形の烏帽子(えぼし)を被り、

 天皇家や神社で使う大太鼓(だだいこ)(火焔太鼓)を叩き、

 神主(かんぬし)の祝詞(のりと)と同じ調子で

 経を読むのを冷静に観察してから熟考し、

 京都祇園の山鉾や各地の山車(だし)が

 立証するシンドゥ教の一派にすぎない神道が、

 はたして仏教より尊いかどうか再考すれば、

 日本人の道義的水準が幾らかでも高まることになるのである。



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2013年4月18日木曜日

推古?植山(うえやま)古墳は卑弥呼の九州仏教連邦を立証



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:22頁

 《推古?植山(うえやま)古墳は卑弥呼の九州仏教連邦を立証
 「推古?植山(うえやま)古墳は卑弥呼の九州仏教連邦を立証

 こうして観世音菩薩とその亜流の宗教や観音経などを、

 実際に眼にしてその内容を検討してみると、

 卑弥呼がソナカと出会った当時の彼女の信仰内容や職業まで発見できる。

 しかもそれらの答えは全て

 「馬のつく地名」や「女性仏」など、

 歴史を物語る遺物を、

 国境という狭い概念を超えてアジアの広い範囲に分布し、
 
 彼女の生前の業績ばかりでなく

 没後の宗教界に与え続けた影響まで、

 明瞭に見渡せるようになった。

 彼女の鬼道が仏教であったことは、

 単にアソカ仏教宣布団のソナカ夫人になったというだけでなく、

 それらの現実に大量に現存する有形無形の文化財が、

 互いに有機的に立証し合って、

 動かないものになっている。

 ちょうどここまで書いた時、

 ニュースは

 「橿原市の植山古墳が推古天皇の殯墓(かりもがり=本墓が

  完成するまで仮に埋葬しておく

  仮墓=荒城)の記録によく合う」と報道したが、

 その中で重要なのは唯1点

 「阿蘇から運んできた石」があった点である。

 この熊本県阿蘇産の石が

 畿内の古墳で見つかる例は他にも数件知られていて、

 私の「古墳=仏教遺跡説」の根拠の一つになっている。

 前にお話しした通り

 阿蘇火山はアソカ山でアソカ王の象徴である。

 その石をはるばる九州から運んで来た事実は、

 九州がアソカ仏教の発祥地で、

 卑弥呼連邦の所在地、

 古墳は仏教徒のもの等々、

 幾通りもの史実を立体的に立証しているのである。

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2013年4月17日水曜日

ウマー信仰の巫女だった婚前の卑弥呼



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:21頁

 《ウマー信仰の巫女だった婚前の卑弥呼
 「ウマー信仰の巫女だった婚前の卑弥呼

 馬子と同時存在だった聖徳太子も、

 その名は「厩戸(うまこ)」で、

 これも「ウマコ」への当て字だ。

 全てにおいて

  同じ地位の同一の職務をもった二人の高官が、

 同じ名をもっていては、

 不便で混乱が甚だしいから現実にはありえない。

 これはどこから見ても、

 この二人は別人ではなく、

 一人が二人に見えるように、

 編集者がわざと記事を分裂させただけにすぎない。

 では佐和氏が不思議がったほどに観音を非仏教的にした、

 このウマー女神の混入、または意識的混合は、

 いつ、どこで、だれが実行したことだったのだろう?。

 そうした行為は観音信仰が盛んになった後、

 さらに教義が緻密になることを要求されないと起こるものではない。

 なのに卑弥呼以前の経典には、

 一菩薩として扱われているだけで、変化のきざしもなかった。

 ところが卑弥呼時代になると、

 末盧国、馬韓国ばかりか、

 これまでみてきたように至るところ「ウマ」だらけになる。

 しかも卑弥呼自身、

 倭迹迹日百襲姫の名乗りでも明瞭なように、

 クダラ=百済を名乗りにもつ。

 これらが声高に証言しているのは、

 ウマ一女神の混入は、

 卑弥呼の時に、

 九州で、彼女が実行したということである。

 彼女はソナカに見染められて結婚するまでは、

 仏教徒ではなく他の宗教の巫女だったから、
 
 その神がウマーだったとすれば、

 この問題は一瞬に解決して、何の不思義もなくなる。

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2013年4月16日火曜日

万世一系の皇宗(こうそう)に一貫する「アソカ」の名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:20頁

 《万世一系の皇宗(こうそう)に一貫する「アソカ」の名
 「万世一系の皇宗(こうそう)に一貫する「アソカ」の名

 馬の字は漢音では古代から.

 現代まで「マ」に一定していて変化がない。

 それを「バ」と発音するのは、日本独特の訛りである。

 さらにそれを「ウマ」と発音する国は日本しかない。

 その「ウマ」と、女神の名「ウマー」とが重なり合うのは、

 これまで見てきた観世音菩薩の信仰を除いては考えられない。

 しかもさらに思いを巡らせると、

 仏教政権の栄えた7世紀の我が国で、

 最高の権力の座にあった蘇我氏の長(おさ)もまた、

 「馬子」と名乗っていた。

 これまでは「馬子」という名は、

 国家の最高権力者には何となく似合わない

 お粗末な名のように思えていたが、

 こうして卑弥呼の拠(よ)って立った祭政一致の根本理念が、

 仏教であり、

 観世音菩薩信仰であったことがわかってみると、

 「ウマコ」のもつ意味は、

 「女神ウマー」の愛と慈悲に始まって、

 それを受け継いだ観世音菩薩の愛と慈悲と観音力に
 
 発展した人道的仏教の大理想の担い手として、

 南九州から朝鮮半島に及び、

 やがては大坂・奈良にまで広がった

 馬の国「百済」の名乗りをもっていたのは、

 当然すぎるほど当然のことだったとわかる。

 万世一系の天皇家なら、

 その租は間逢いなく仲哀天皇のソナカであり、アソカ王である。

 蘇我氏は大化改新以後、本拠を明日香に移した。

 今後は奇妙な偏見を捨てて、

 虚心に蘇我も明日香もアソカへの当て字とみるのが、

 常識にならなければいけない。

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2013年4月14日日曜日

観音は異教的な信仰=女神ウマーの介入



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:18頁

 《観音は異教的な信仰=女神ウマーの介入
 「観音は異教的な信仰=女神ウマーの介入

 「ウマ」とよく似た「Uma ウマー」という名をもった女神が、

 仏教でいう大自在天(じざいてん)=シンドゥ教のシバ大神の后の筆頭にいる。

 前記の佐和隆研氏も

 「現実の生活の中において遭遇すると想像される種々の危難に対して、

 ただその名をとなえることのみによって即座に効果をあらわすという信仰は

 他の諸菩薩と比較して観音の著しい特徴といわなければならない。

 この観音と前後して説かれている

 文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)等の菩薩は

 大智・大悲の性格をもっているもので、

 それは完全なる覚者としての如来の性格の一面の具象化されたもので、

 仏教自体の展開によって成立した菩薩と考えられるものである。

 しかし観音のもっている性格は

 仏教本来の神としての如来の性格の分化した一面として、

 成立する面をもってはいるけれども、

 その具体的な危険に対する救済のことは

 仏教の教理的展開によって生み出されるものではなく、

 むしろ異教的な信仰の介入を思わしめる点が多いのである。

 すなわち変化観音の多くのものに大白在天妃ウマーの影響によって

 成立したものがかなり多く含まれているということは、

 すでに大村西崖氏が『観音の神話』(雑誌密教三巻~四巻)に説いているが、

 「この推定は観音そのものの成立にまで及ぼすべきものではないかと考えられる」

 といっている。

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2013年4月13日土曜日

観音信仰と共にインドから来た末盧の国名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:17頁

 《観音信仰と共にインドから来た末盧の国名
 「観音信仰と共にインドから来た末盧の国名

 松浦は、単なる当て字に過ぎない。

 それなのにその代表的な地域は海岸に沿った「浦」で、

 名勝・虹の松原などが、

 まさに見事な「松浦」を形成している。

 ところがその地名は松の木とは無関係で、

 馬の方に語源があったとわかった。

 これはもう一つの真実を教えてくれる。

 それは松をマツと発音するのは、

 この地域が語源だということである。

 その浦が「末(マツ)=馬津(マツ)」と呼ばれていたから、

 そこへの移住者がもってきて植えたその美しい木が、

 やがて「馬津が持って来た木=馬津の木=マツの木」

 という名で呼ばれることになったのである。

 だから植物の「マツ」という和名が生まれたのは、

 卑弥呼時代の末盧国以後のことである。

 『倭名類聚鈔』には

 郡名の部分の肥前国 管十一に「松浦=萬豆良」があり、

 植物の名の部の第百二十九に松があり、和名「萬豆=マツ」とあるから、

 命名は10世紀より前である。

 松浦の名は、この地名のルーツをはっきり教えてくれる。

 それは観音信仰の真の大本山・ボダラッカ山のある Madura マヅラである。

 松浦や末盧国はその故郷を壌かしんで、九州に同じ地名をつけた発音への当て字であり、
 卑弥呼と観音信仰の史実を語る生き証人なのだ。

 ではそれらの当て字に多用されている「馬」、それは一体なにを意味しているのだろう?。

 実はそれこそ変化観世音菩薩の謎を解く、「強力なキー」だったのである。



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