2013年1月31日木曜日

曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:7頁

 《曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」
 「曼荼羅(マンダラ)の中に「イサナキの尊」

 中国では帝釈天やガルーダ(カローラ・金翅鳥)などは

 『大方広(ほうこう)仏華厳(けごん)経』=

 略称は華厳経または雑華(ざうげ)経の訳にあるが、

 それは5世紀の仏陀跋陀羅(ブッダバラダ)訳が最初で、

 それ以前には知られていない。

 図の『十二天曼荼羅』は、

 その『華厳経』の中に書かれている天部の神名の梵字(ボンじ)の頭文字だけ使って、

 その方位への配置を略図化したものである。

 天部が初めて中国に伝わったのは北涼の玄始年間だから5世紀で、

 卑弥呼時代の国名にみる帝釈天は、

 中国経由で入ってきたものではない。

 さらに深く調べるとより重要な貴重なものが、

 『密教』の「曼荼羅」の中に見つかる。

 曼荼羅は弘法大師空海が中国で教わって我が国に伝えた平安時代以後のものだが、

 現存する『十二天曼荼羅』は、図のように実に不思議なことになっている。

 卑弥呼当時の国名と全く同じに、帝釈天と多聞天だけがあるのだ。

  上・梵天  :ボラ

  下・地天  :ヒリ

    日天  :ア

    月天  :シャ

 東 ・帝釈天 :イー

 東南・火天  :ア

 南 ・焔摩天 :エン

 西南・羅刹天 :ニリ

 西 ・水天  :パ

 西北・風天  :パー

 北 ・多聞天 :ペイ

 東北・伊舎那天:イ

 「十二天曼荼羅

 不動曼荼羅の場合は、五大明王が中央部へ置かれ、

 十二天はそのまま外部の方向へと開き、広がります。

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2013年1月30日水曜日

倭人の高度の染織技術とそのルーツ



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:6頁

 《倭人の高度の染織技術とそのルーツ
 「倭人の高度の染織技術とそのルーツ

 いまタイ国などに住むカリエン人の村を訪ねると、

 女性たちが様々に染めた色糸を使って

 手機織機(てばたしよっき)で織りながら色糸を混織して、

 美しい彩色の布を織り上げて、

 それでまさに『魏書倭人章』が記録した「貫頭衣」そのものにして着ているが、

 それと全く同じ技術と織り上がりを見せる

 「読谷花織り ユンダン・ハナウイー」という織物が今も沖縄で織れている。

 この織り方は単にカリエンと共通の技術というだけでなく、

 中近東名物の絨毯(じうたん)や壁掛けにみる技術で、

 ただ、可なり原始的である。

 それはカリエン=高族がバビロンからもってきたカルデア文化9の生き残りとみると、

 天照大神伝承に見る沖縄の織物文化のルーツや、

 中国の、天の河は南海につながっているという迷信で、

 織女伝説のルーツが理解できるし、

 明(ミン)の時代に生まれた民話、

 「コウケン」という発音が生んだ「鮫絹」という当て字から、

 南海の海底に棲む鮫が織った織物だという

 詩的な迷信まで生まれた理由もわかる。

 沖縄演劇に見る花笠や、

 平安絵画にみる市女笠(いちめがさ)などの、

 女性が笠を被る風習もカリエンのものだし、

 その遠い故郷バビロンから絨毯の産地が

 トルコ、ペルシャ、インドと連なり、

 インド更紗(さらさ)とジャワ更紗のマレー語名・

 バタックがパーリ語からでて、

 今ではブチックという世界共通語を生み、

 タイ・シルクもまた沖縄と多くの姉妹文化を共有している。

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2013年1月29日火曜日

文化や風俗の細部までわかる原語



 

 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:5頁

 《文化や風俗の細部までわかる原語
 「文化や風俗の細部までわかる原語

 その倭人の高文化は精神面だけではない。

 例えば弥奴国の「染める・染料」の国は、現実に景初2年(238年)に、

 難升米らが魏への土産物として「斑布」を持って行った。

 斑(まだら)の布とはいうまでもなく染料で模様を染め出した布のことだし、

 正始4年(243年)には伊声耆らが「倭錦・絳青鎌(こうせいけん)」を、

 また邪馬壹国が誕生してからも壹與が「異文雑錦」を張政を送る、

 使いに持たせて洛陽の魏政府に贈っている。

 これらは皆

 「錦(にしき)」すなわち様々な色糸を使って模様を織り出した織物で、

 すべて高度の染色技術と染料なしでは造れない。

 「染める・染料」の国という弥奴国の国名は史実だったと、

 はっきり確認できるのである。

 また支惟国の名は倭人が

 招頭(鉢巻き・ターバン)しているという記事に合うだけでなく、

 それに宝石をつけているという特徴を教えてくれる。

 この国名の発音はチヂワで、

 今の長崎県島原半島の千々石にそのまま合うが、

 石がたくさんごろごろしている土地は至るところにあって珍しくない。

 この千々石という名はそのままでは意味不明だ。

 ところがギリシヤ語の意味がわかれば、その「石」とは宝石のことで、

 「千々」とは「細かく分けた・多数」などを意味するから、

 タイ奥地などでカリエン人と混住するアカ族婦人の風俗のように

 「小型の宝玉などを沢山頭部につけた」

 という意味なのだということまで理解できる。

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2013年1月28日月曜日

国名が立証した卑弥呼時代の高い文化



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:4頁

 《国名が立証した卑弥呼時代の高い文化
 「国名が立証した卑弥呼時代の高い文化

 それだけでなく、大学講義録19で明らかになった

 卑弥呼が統治した国々の国名をみると、

 それらの名がもつ内容は、

 これらのシャーマン程度の頭脳で命名できるような低級なものではない。

 彼女以前に命名されたギリシャ語名は、

 その国の性格を短かい単語で適確に表現している。

 その内容は、

 独立して進む勇士の国、

 女性が意思表示する国、

 女性の冠が特徴の良識の国、

 といった、

 現代の国名・地名に勝る高度のものである。

 卑弥呼時代になっても、

 それを受け継ぎ、またはパーリ語化した国名も、

 急流を乗り切る長老の国、自我を通す自由人の国といった知性的な名前と、

 死を悟る智者の国、良知者の国、

 多聞天(タモンテン)国、帝釈天(タイシヤクテン)国といった、

 高度に哲学的な国名、

 または仏教の知識がなければ理解できない名をつけている。

 これは国民がその内容を理解できない低文化国では、

 絶対につけられない国名である。

 それはどの高い文化をもった連邦に君臨した

 大女王・卑弥呼時代の宗教を、

 まるで何の研究も検討も努力もせず、

 いい加減な想像だけで「シャーマニズムだ」と決めっけた連中の、

 怠惰と我々日本人および祖先に対する、

 余りにも酷い冒涜(ぼうとく)は、

 絶対に放置できない問題である。

 またパーリ語名の多聞天と帝釈天の国の存在は、

 卑弥呼の仏教の実在を立証するだけでなく、

 その信仰の内容まで詳しく明確に物語るのである。

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2013年1月27日日曜日

鬼道はシャーマニズムではない



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:3頁

 《鬼道はシャーマニズムではない
 「鬼道はシャーマニズムではない

 在来の邪馬台論者は卑弥呼の鬼道はシャーマニズムだという。

 彼等がいうシャーマニズムとは何か、

 彼等は厳密な定義はしていないが、

 シベリアや北米に今もいる原始的な宗教の布教者シャーマンが、

 悪魔や災厄を払い、病気を治すと称して、

 粗末な手太鼓をトントン叩き、腰を振って鈴を鳴らし呪文を唱えて、

 幾らかの布施にありつく迷信的宗教の一種をいう。

 我が国でこれに類するものは

 青森県の恐(おそれ)山で有名なイチコまたはイタコで、

 これは楽器を鳴らし呪文を唱えて死者の霊を呼び出し、

 地獄、極楽を語るので一見、

 仏教的だが、その実体はイチコの名が示すように、

 スサノオの尊の子の

 市杵(イチキ)島姫命(紀)

 市寸(イチキ)嶋比売命(記)のイチキを、

 「市木」と当て字したものはイチコと読まれるから、

 市杵(イチキ)島姫命=壹與の

 シンドゥ教プラス仏教=迷信的神仏混交宗教の子孫であって、

 繹迦の教えをソナカが伝えた

 初期仏教の使徒・卑弥呼らの人道哲学的宗教とは、

 まるで別物なのである。

 それは沖縄に残る伝統宗教の巫女ノロが軽蔑し排斥するユタや、

 三味線の類を弾いて門(かど)づけをして歩いたゴゼ(瞽女)や、

 民家に神棚を設けて予言や厄払いをする市井の占師タイプの疑似巫女。

 また韓国の、

 踊ったり舞ったりして予言や厄払いをする

 民間信仰のムーダンなどもこの類いで、

 いずれも繹迦の哲学どころか、仏教から分かれたものでもない。

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2013年1月26日土曜日

卑弥呼時代の国名語源一覧リスト5 結論



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:35~36頁

 《卑弥呼時代の国名語源一覧リスト5 結論
 「卑弥呼時代の国名語源一覧リスト5 結論

 国名  ギリシャ語の原名    パーリ語の原名   マレー語その他の原名

 狗邪韓  kudiao 独立して進む戦士  

 対馬    tu admes 「慣れた君」  

 一大    ie 女性 dad 拡張者    

 末盧                Malla マッラ

 伊都    ie 女性 toi 意思表示    

 不弥                          マレー語 Puo Miaoプオ・カリエン人・ミャオ人

 投馬                                              マレー語 tuma シラミ(虱)

 狗奴    kuno 犬・狗

 「旁国名」

 斯馬    SIMOS 低い鼻・サカ人・タタール人sima 戒壇・境界

 己百支  Sibullistes 巫女の信者 sibbati 縫う

 伊邪                                                アラブ語 iar dzib シャチ(鯱)

 都支    tothen 「ここから!」

 弥奴                            miyya nu 死を悟る知者

 好古都  KOKKOS 穀物・種子

 国名  ギリシャ語の原名    パーリ語の原名   マレー語その他の原名

 不呼                        ミャンマー語 pogoda 仏塔

 姐奴              tina 茅野

 対蘇  tuide 此処こそ sos 汝                       タイ語 tua So 老ソ族

 蘇奴    SOROS 土器・陶棺      

 呼邑              go yayu 牛専業

 華奴蘇奴ganoo 輝かす SOROS 土器

 鬼   kie 「進め」            Kuvera 多聞天

 為吾  GUION 手先 gone 生産            マレー語 guri angon 土器と牧場

 鬼奴  kie 進め NOOS 参謀      Kuvera nu 多聞天知者

 邪馬  diamao 斬り進む         jhama 焼く

 躬臣    KION アトラスの柱 DIEMAI 平原          マレー語 kiong dien カタツムリ、蝋燭

 巴利                pali 『聖典』=お経

 支惟    tieres 鉢巻 ualos 宝石  tidiva 帝釈天

 烏奴    ONOS ロバ(驢馬)

 奴国    nomas 遊牧民

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2013年1月25日金曜日

卑弥呼当時の連邦の人種構成



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:34頁

 《卑弥呼当時の連邦の人種構成
 「卑弥呼当時の連邦の人種構成

 これで大学講義録19の主題は終わったが、

 新たな疑問が残った。

 パーリ語が単なるお経の言葉なら、

 どうして鹿児島語などの南九州語が、

 パーリ語を現代まで受け継いでいるのであろうか?。

 パーリ語の力でイオニア・Ionia は、

 Io=ヨ・ nia=ニヤから、

 さらに短縮してヨナになり、

 与那国、与那原として現代まで残った。

 だが今の沖縄語は母音の「 o 」がないし、

 こんなに短縮もしない。

 同じ短縮をするのは大隅・鹿児島などの南九州語で、

 それは「ニヤ」即「ナ」になったのとそっくりそのままに、

 醤油・焼酎を「ソユ・ソツ」と発音する。

 言語は使用者が多いとその土地に土着して、新しく入ってきた人々も、

 「郷(ごう)に入れば郷にしたがえ」で、その土地の言葉で話すようになる。

 だから現代までパーリ語が残っているということは、

 パーリ語を話す人々が、

 それまでいた先住民を完全に抹殺したようにみえる。

 しかし卑弥呼の仏の教えは慈悲を説く、

 先住民を抹殺することはありえない。

 このパーリ語の普及は

 永い卑弥呼君臨時代の「教育」によるものだったのだ。

 では先住民はどんな人たちだったか?。

 少なくとも与那国島にはイオニヤ人がおり、

 沖縄から高句麗にかけてはバビロン人の子孫カリエン人が、

 中国その他からの移住者たちと雑居していたのである。

 次ページの結論のリストは、

 なぜ?そうなるのか?などと、

 自習用にお使い戴きたい。

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2013年1月24日木曜日

パーリ語は卑弥呼共立以後に普及した



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:33頁

 《パーリ語は卑弥呼共立以後に普及した
 「パーリ語は卑弥呼共立以後に普及した

 リスト(4)に、

 国名の語源の可能性のあるものを総括したが、

 まだ候補者の数が多すぎる。

 前にも申し上げたが、

 どんな言語でもこんなに名詞の全てにうまく合うものではない。

 それは発音だけでなく、内容にも、時代にも、

 よく合わなければならないからである。

 たとえば前にお話しした『官名』の例では、

 パーリ語にはよく合うのに、

 パーリ語とは兄弟語で訛りが僅かに異なるだけの、

 酷似した言語・サンスクリットでさえ、置き換えて見ると、

 発音がまるで異なり、無理に合わせようとすると一層、

 支離滅裂なものになってしまった。

 なのに前ページの総括リストでは、

 幾種類もの言語に合って、どれを運べばいいか迷うほどだ。

 だが卑弥呼が「共立された」という記録によって、

 当時すでに複数の国が実在していて、

 卑弥呼共立以前に連邦を構成していたことがわかる。

 そして卑弥呼が迎えられるより前に、彼女の夫・ソナカは、

 「天の稚彦=仲哀天皇」として天下りながら、

 布教拡大の任務を果たす前に死んでしまった。

 だから連邦が仏教国になったのは、

 卑弥呼が連邦女王になった後のことである。

 これが大学講義録19の冒頭の疑問

 「仏教はいつ日本に到着したか?]への答えである。

 パーリ語は仏教のお経の言葉だから、それ以前の国々はパーリ語は使わない。

 連邦各国は「パーリ語以外の言語でつけた国名をもっていた」。

 これが第2の疑問への答えである。

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2013年1月22日火曜日

感嘆するほど精密な帯方郡使の当て字



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:30頁

 《感嘆するほど精密な帯方郡使の当て字
 「感嘆するほど精密な帯方郡使の当て字

 「為吾」 

 これはパーリ語でもマレー語でも牛や牧畜を意味する国名になる。

 発音を重視すればマレー語の guriangon のほうが有力である。

 「躬臣」 

  パーリ語の「耳環をする人の国」は、ありそうでダメである。

 これは国外の人が客観的につけた渾名(あだな)の一種にすぎないが、

 旁国の国名は全て自分でつけた名で、もっと主観的な良い名だからである。

 そのパーリ語に反してマレー語のほうは、

 dien という発音をその通り dien と当て字している。

 その国名の内容もその国を代表する産物名で妥当だ。

 研究もせずに、古代中国人の書いたものなど

 「白髪三千丈式で、記録価値などない」と

 広言するような人物がいるが、

 この帯方郡使の真摯(しんし)な記録ぶりを知れば、

 そんな憶測(おくそく)など情けない限りだ。

 「支惟」 

 これはマレー語の方が無理である。

 パーリ語の帝釈天(タイシヤクテン)は、

 部下の多聞天など四天王や32天神らを世界に派遣して

 「諸国を検察させる」仏法守護神の帝王なのである。

 「烏奴」 

 マレー語では o オ・オオは下・下る・下級。Nu ヌは知者。

 しかし自分で「下級知者の国」などと名乗る国はない。

 これに近いのはジロロ島(インドネシア)の火山名だけだ。

 「奴国」

 noma に合う言葉もマレー語系の単語の中にはない。

 リストに挙げた Noumea も一見似ているが、

 実際にはヌウメアと発音するから、単なる他人のソラ似でしかない。

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2013年1月21日月曜日

パーリ語名を強力に立証する鬼と支惟



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:29頁

 《パーリ語名を強力に立証する鬼と支惟
 「パーリ語名を強力に立証する鬼と支惟

 「鬼」

 この漢魏音の kiweg だけでなく国を意味するラがつくと、

 kuvera クウェラへの当て字として合う。

 これは仏法四天王の一人「多聞天(タモンテン)」で北方の守護神だから、

 卑弥呼女王国の最北端=熊本県に属する球磨地方にある旁国の名とし、

 地理的にも納得がいく。

 当時の国名が仏教に基づいてパーリ語で命名されていた事実を、

 最も強く立証する名の1つである。

 「鬼奴」 

 これを今度は語源のパーリ語の側から検討してみると、

 「鬼」の語尾に「-nu =知っている、知者」がついたものである。

 今、鹿児島県姶良郡にある栗野(クイヌ)町は

 球磨地方に通じる適格の鹿児島県側の最北部にあった旁国である。

 多聞天国への道をよく知る人々の国だけでなく、

 北方の守護をよく理解している人々の国という意味でもあったことになる。

 これらや支惟の国名などが、

 卑弥呼仏教女王時代にギリシャ語名を手直しして、

 パーリ語名に換えた事実と、

 だから発音が唐代の漢字音「クゥエヌ」に合うのだということがよくわかる。

 「邪馬」 

 この発音はギリシャ、パーリ、マレーの3語に、みなよく合っている。

 しかし屋久島北半分の国だった事実と、

 「焼く」と「屋久」という島名は決して無関係ではありえない。

 これは卑弥呼当時まではマレー語人の国だったが、

 パーリ語を知る人々がそれを「焼く」と解釈したために、

 後世に「ヤク島」という名を生み出した可能性が充分ある。

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2013年1月20日日曜日

「昇る」の語源や牧畜国家も実在



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:28頁

 《「昇る」の語源や牧畜国家も実在
 「「昇る」の語源や牧畜国家も実在

 「姐奴」

 これは鹿児島語の発音では月野(チッノ)に合ったが、

 本州語では茅野(ちの)になる。

 パーリ語はこの日本語の通り、

 茅(カヤ)の生えた野原を tina というのだから、

 茅野の語源はこれ以外にはない。

 「対蘇」 

  パーリ語の twat 高速は発音も意味も国名にふさわしくない。

 これはタイのツワソ=老ソ(族)が、

 日本列島へやってきていて小国を構成していたとみるほうがいい。

 「蘇奴」 

 ソは前と同じソ族、noon は「高い」で高地ソ族になる。

 鹿児島語では高い方へ上ることを「ノンボイ」というが、

 これは noon 方エ(ポイ)(へ)=高い方へ」という

 タイ語と古代日本語がミックスされたもので、

 これが方言化して「上り・昇り・登り」になったのである。

 「呼邑」

 これは現代語なら「牧畜専業農家」であるパーリ語のほうが妥当である。

 しかし現代のように食用牛を飼っていたのではない。

 牛は、当時の日本ではまだごく僅かしか飼われず、

 それは多目的動力源として貴ばれていた。

 『魏書倭人章』には「牛馬虎豹羊鵲なし」と書かれているが、

 トカラ列島には小型のトカラウマがいるし、

 弥生遺跡から牛馬の遺骨が出る。

 また「骨を灼(や)いて」占う出土骨は鹿の骨が多い。

 春日の神鹿はこの牧畜の生き証人なのだ。

 「華奴蘇奴」 

 この蘇奴は(9)・(10)と同じものとみるのが常識的だが、

 華の発音がガと濁ると「第6のソ族」、

 カと澄むと「別派のソ族」と、意味が大きく変わる。

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2013年1月19日土曜日

タイ語やミャンマー語の国名もある



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:27頁

 《タイ語やミャンマー語の国名もある
 「タイ語やミャンマー語の国名もある

 「都支」

 to tieg はパーリ語の thuti よりも、

 タイ語の to chieng のほうが音価が細かく一致しているし、

 その意味もパーリ語の「賞賛」という国名はないが、

 タイ語の勇ましく美しい長老が支配する国というのは、


 あっても不思議ではない。

 タイ語が使われていた遺物も日本語の中にかなりあり、

 沖縄の蒸留酒・泡盛もタイから直接入った文化である。

 「弥奴」

 これは宮之浦や宮之城の「宮之」だから、

 パーリ語の miyya nu のほうがピッタリだ。

 意味も「死を悟った知者の国」で、

 仏弟子の倭人の国にふさわしい。

 「好古都」 

 これはモルッカ群島語の kokotu がよく合っている。

 そこからやってきていた先住民の国があってもおかしくない。

 黒という国名は、

 古代ギリシャの北端の国がクロアチアとして今も残り、

 高句麗が黒の国であったこともわかっていて不思義ではないが、

 この kok~という発音が黒(コク)を意味するのは、

 漢音と同じであることも偶然とは考えにくい。

 「不呼」
 
 これはミャンマー語のボゴダのほうが有力。

 ミャンマーはソナカ布教団が

 最初に目標にした第一の「金地国=スヴァンナプーミー」だった。

 日本列島の倭国の遺跡に残る古墳もミャンマーに残るボゴダ群も皆、

 インドのサーンチーに残る釋迦の仏塔の子孫である。

 不呼はヒュウガ=日向の語源で、

 そこには大量の古墳群がある。

 そこはまさにボゴダの国なのだ。

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2013年1月18日金曜日

確実に混っているアラブ語の国名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:26頁

 《確実に混っているアラブ語の国名
 「確実に混っているアラブ語の国名

 「伊邪」

 これには一応、

 いちばん近い イッジャチィ を挙げておいたが、

 これは帯方郡使がつけた当て字音によく合わない。

 パーリ語ではない。

 そこで可能性のある言語を調べて見つけたのが

 リスト(3)の「 イァ ヂプ 」である。

 これはご覧のようにカールグレンの音符に非常によく合っている。

 語尾だけが a と b に分かれるが、

 それは漢字が単音でなく複合音でできている以上、

 仕方のないことである。

 決して当て字の a が正しくて b は間違いだというのではないことを、

 この例でよく学んで戴きたい。

 イァ ヂプ はアラプ語だが、

 それを使うカリエン(カルデア)人が、

 バビロンの崩壊後に日本列島へ来て、

 宝貝貨幣(貝貨)を中心にした水産業を大規模に富んでいたことは、

 今も中国を中心に発掘文化財として残る出土貝貨が、

 ほとんど沖縄水域産の種であることで充分立証済みである。

 この イァ ヂプ が「水狼=シヤチ=鯱」であることも、

 その住民が「海の荒くれ男たち」だったことを物語っているが、

 現実にその伊作町のある薩摩半島南部出身者には、

 たとえば女優の片平なぎさのようなアラブ系の容貌をもった人が多い。

 それにシャチという日本語そのものが、

 この「イァ ヂプ→ヤチ」の語頭に s がついた形になっている。

 S が何かは別問題で、

 このアラブ語が最適の語源であることは疑いない。

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2013年1月17日木曜日

高度の知性を立証するパーリ語国名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:25頁

 《高度の知性を立証するパーリ語国名
 「高度の知性を立証するパーリ語国名

 ツムバを沖縄語とみた大隅語や鹿児島語の人は「ツマ」と発音する。

 ツムバは壷のことだから、

 土器生産が主要産業の国という意味になる。

 またこのパーリ語が日本語に間違いなく入っていることを証明するのは、

 そのツムバが訛って短縮して「ツボ」という

 名詞になった可能性が非常に高いことである。

 ツンバ→ツンボ(聴覚障害)→ツボというコースだ。

 「狗奴」

 クノという名詞はパーリ語にはない。

 しかし狗奴国があった地域の広域名である熊毛にぴったりの「クマッガ」が、

 「邪道」という意味をもっている。

 パーリ語は仏教徒たちの用語であって、

 この熊毛に合う名詞はギリシャ語の kum と共に、

 仏教徒と対立していた狗奴国人の自称ではない。

 明らかに卑弥呼側がつけて呼んだ蔑称に間違いない。

 「斯馬」 

 この国は、

 大隅ではなく宮崎県に突出して都城市にある。

 国境の最先端として

 「境界の国」と呼ばれた名残りとみると適確な命名といえる。

 その境界の内側は自分たちにとって神聖な「教区」であり「戒壇」でもある。

 こうみるとこの名もパーリ語で、

 その発音は帯方郡使がつけた当て字よりも、

 シマという日本語として遥かに強力に残っている。

 「己百支」 

 これは斯馬とは反対に、

 当て字の音に非常によく合ったシッバチィという単語だ。

 パーリ語だったとすると、

 この奇妙な国名は「繊維産業の国」といった意味だっのだ。

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