2013年1月12日土曜日

懐古と望郷から生まれた国名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:18頁

 《懐古と望郷から生まれた国名
 「懐古と望郷から生まれた国名

 「躬臣」 

 この KION は「柱」だが、

 大文字は「アトラスの柱」のことで、

 古代ギリシャでは、地中海と大西洋を分けているジブラルタルの岩山を

 「アトラスの桂(ヘラクレスの柱)」と呼び、

 巨神アトラスが天を支えている柱だとしていた。

 旁国のは躬臣国は薩摩半島の南端部。

 海を背に、富士に似た開聞岳が平地に孤立して聳えている。

 それを見るとギリシャ人移住者たちには、

 その神話が思い出された。

 「平原に、アトラスの柱」の国とは、

 望郷と懐古から生まれた国名だったのである。

 DIEMAI は音が沖縄語のウシュマイ(御主前)にも通じる。

 「支惟」 

 この国の人は『魏書倭人章』が「招頭」と書く

 「鉢巻き」に宝石を飾っていたのだ。

 ギリシャ人はターバンや鉢巻きはしないから、

 この国はカリエン人の国だったのである。

 「烏奴」 

 屋久島の尾之間は「オノ国」と読めるが、

 ギリシャ語には「ONOMA 名前」があって、

 日本語の「お名前」に相当する。

 「ONOS ロバ」のほうは当時の日本にはいなかったから、

 これはカリエン人か支惟国の隣りで、

 南西藷島の小馬トカラウマを飼っていたという国名か。

 「奴国」 

 nomas もイオニヤ語「遊牧民」。

 「初乳」も出てきたし、

 日本列島から広がって行ったチュクチ(筑紫・菊池)人や

 蒙古人が遊牧民だし、

 ノマスというのは「ミルクを飲ます人」でもある。

 春日の鹿をみると獣が鹿だった可能性も濃い。

 次ぎはパーリ語をみてみよう。

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