2013年1月25日金曜日

卑弥呼当時の連邦の人種構成



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:34頁

 《卑弥呼当時の連邦の人種構成
 「卑弥呼当時の連邦の人種構成

 これで大学講義録19の主題は終わったが、

 新たな疑問が残った。

 パーリ語が単なるお経の言葉なら、

 どうして鹿児島語などの南九州語が、

 パーリ語を現代まで受け継いでいるのであろうか?。

 パーリ語の力でイオニア・Ionia は、

 Io=ヨ・ nia=ニヤから、

 さらに短縮してヨナになり、

 与那国、与那原として現代まで残った。

 だが今の沖縄語は母音の「 o 」がないし、

 こんなに短縮もしない。

 同じ短縮をするのは大隅・鹿児島などの南九州語で、

 それは「ニヤ」即「ナ」になったのとそっくりそのままに、

 醤油・焼酎を「ソユ・ソツ」と発音する。

 言語は使用者が多いとその土地に土着して、新しく入ってきた人々も、

 「郷(ごう)に入れば郷にしたがえ」で、その土地の言葉で話すようになる。

 だから現代までパーリ語が残っているということは、

 パーリ語を話す人々が、

 それまでいた先住民を完全に抹殺したようにみえる。

 しかし卑弥呼の仏の教えは慈悲を説く、

 先住民を抹殺することはありえない。

 このパーリ語の普及は

 永い卑弥呼君臨時代の「教育」によるものだったのだ。

 では先住民はどんな人たちだったか?。

 少なくとも与那国島にはイオニヤ人がおり、

 沖縄から高句麗にかけてはバビロン人の子孫カリエン人が、

 中国その他からの移住者たちと雑居していたのである。

 次ページの結論のリストは、

 なぜ?そうなるのか?などと、

 自習用にお使い戴きたい。

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