2013年1月24日木曜日

パーリ語は卑弥呼共立以後に普及した



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:33頁

 《パーリ語は卑弥呼共立以後に普及した
 「パーリ語は卑弥呼共立以後に普及した

 リスト(4)に、

 国名の語源の可能性のあるものを総括したが、

 まだ候補者の数が多すぎる。

 前にも申し上げたが、

 どんな言語でもこんなに名詞の全てにうまく合うものではない。

 それは発音だけでなく、内容にも、時代にも、

 よく合わなければならないからである。

 たとえば前にお話しした『官名』の例では、

 パーリ語にはよく合うのに、

 パーリ語とは兄弟語で訛りが僅かに異なるだけの、

 酷似した言語・サンスクリットでさえ、置き換えて見ると、

 発音がまるで異なり、無理に合わせようとすると一層、

 支離滅裂なものになってしまった。

 なのに前ページの総括リストでは、

 幾種類もの言語に合って、どれを運べばいいか迷うほどだ。

 だが卑弥呼が「共立された」という記録によって、

 当時すでに複数の国が実在していて、

 卑弥呼共立以前に連邦を構成していたことがわかる。

 そして卑弥呼が迎えられるより前に、彼女の夫・ソナカは、

 「天の稚彦=仲哀天皇」として天下りながら、

 布教拡大の任務を果たす前に死んでしまった。

 だから連邦が仏教国になったのは、

 卑弥呼が連邦女王になった後のことである。

 これが大学講義録19の冒頭の疑問

 「仏教はいつ日本に到着したか?]への答えである。

 パーリ語は仏教のお経の言葉だから、それ以前の国々はパーリ語は使わない。

 連邦各国は「パーリ語以外の言語でつけた国名をもっていた」。

 これが第2の疑問への答えである。

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