2012年12月31日月曜日

前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:5頁

 《前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった
 「前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった

 蓋国とは、

 朝鮮半島最北部に蓋馬(ケイマ)高台という高原地帯があり、

 そこに蓋馬市があるのでこの辺り以外にはは考えられない。

 鉅燕(きょエン)とは

 戦国時代中国の大国・燕のことで、

 秦の始皇帝にB.C.E.222年に統一されて独立を失った地域。

 鴨緑江以北の遼東から東北区にまたがっていた。

 その鉅燕(きょエン)の南に蓋国があるというのだから、

 この2つの国の位置関係は正確で、

 やはり蓋国が朝鮮半島にある国だったことは間違いない。

 ところが次の文章では、

 その蓋国は「倭の北に在る」という。

 卑弥呼時代の朝鮮半島をみると蓋馬高台や蓋馬市のあたりは高句麗であり、

 それ以南には濊(ワイ)と韓がある。

 それなのにこの『山海経』は

 濊(ワイ)・韓を知らず、そこは倭だと書くが、それだけではない。

 すぐ続けて「倭は燕に属す」と書いている。

 前漢時代には燕の勢力下にあったというのだ。

 これは朝鮮王の準が漢の初めに燕人の衛満に騙されて国を奪われた

 『史記』の話を考えると、

 確かに半島は燕人の支配下に入っていたといえる。

 こうみてくると前漢末の中国人は、

 後(のち)の濊(ワイ)と韓(馬韓・辰韓・弁韓)を

 全て倭だと認識していたのである。

 また事実、

 私たちには、当時の朝鮮半島は北の高句麗から南端の狗邪韓まで

 琉球・南九州人の国だったことがわかっている。

 濊(ワイ)の発音「ワイ」もウワイの訛りとみて間違いではない。

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2012年12月30日日曜日

倭人はどこから、何時やってきたか?



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録19:4頁

 《倭人はどこから、何時やってきたか?
 「倭人はどこから、何時やってきたか?

 漢の光和は西暦178年から183年の6年間である。

 この時期に倭国に内乱があり、

 卑弥呼が共立されて平和が回復した。

 それまではその国本は男王制で、

 それが七八十年続いていたというのだから、

 その間は女性仏教徒を意味する

 「優婆夷=倭」の国ではなかったことになる。

 ところが『論衡(ろんこう)』には

 「倭が周の皇帝に「鬯草(チョウソウ)=霊芝(レイシ)」を献上した」

 という記事がある。

 周はB.C.E.950年ごろに建国してB.C.E.256年に滅びたから、

 繹迦が仏教を興す前に倭がウワイと発音されることはありえないし、

 霊芝は日本列島では極く希なキノコだが、

 東南アジアから中国南西部には大量に野生している。

 中国ではそれを酒の香料として混ぜて欝鬯(ウッチョウ)酒を作るので、

 僅かな量では何にもならないから、

 日本列島からはるばる中国まで献上にいくことはありえない。

 周の皇帝に献上した倭人は日本列島ではなく、

 その大量野生地域にいたのである。

 それなら倭人はいつ日本列島へ住みついたのであろう?。

 古代中国の地理誌『山海経(せんがい)』の第十二

 「海内北経」の後尾に倭が記載されている。

 「蓋(ケイ)国は鉅燕(きょエン)の南、倭の北に在り、倭は燕に属す」というのだ。

 この記事の指す時代は、第九「海外東経」の末尾に、

 「建平元年(B.C.E.6年)四月丙戌に書いた」という、

 漢の領主省の長々とした肩書を持つ三人の役人のサインがあるから、

 前漢代だったことは間違いない。

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2012年12月29日土曜日

陸稲=シュメルから、水稲=クメールから



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 30 04頁



 「図」陸稲=シュメルから、水稲=クメールから
 《陸稲=シュメルから、水稲=クメールから
 「陸稲=シュメルから、水稲=クメールから

 この<イナンナ説>は3~40年前に、

 近くに住んでいた歴史家たちに教えて、

 それが幾冊かの出版物にも掲載されているが、

 イナンナがいつ?

 何処?を経由して我が国にまで到達した>という論文はなく、

 ましてやそれが殷商帝国の誕生にまで関わったという

 研究結果までを、掲載したものはない。

 盗用した人物は、

 それを如何にも自分の着想のように書いているので、

 その人格が読み取れたから、

 以後は交際していないが、

 恥ずかしい行為は折角の努力も水泡にしてしまうことを、

 よく心しておいて戴きたい。

 前にもお話ししたが、米はヨネ・ヨナとも呼ばれた。

 こちらは与那国島から沖縄県各地の与那のつく地域を経て、

 本土の米子・米原ヨネハラなどに分布している。

 これを整理すると、

 「シュメルから陸稲」

 「クメールから水稲」、

 「ギリシャ人が高級種のヤポニカ」

 をもつてきたのである。

 植物学に暗い学者はヤボニカをジャボニカと発音する。

 生物の学名はラテン語化してつけるのが、

 命名規約で決められた原則であることを憶えておいて戴きたい。

 「図」

 1 インデイカ米
   《インデイカ米
   「インデイカ米

 2 タイ山地米
   《タイ山地米
   「タイ山地米

 3 ヤポニカ米(江州米)
   《ヤポニカ米(江州米)
   「ヤポニカ米(江州米)

 『稲作文化が教える祖先たちの混血文明』

 殷や稲敷の語源が

 稲の語源の食物の女神・イナンナだったことが確認できると、

 いま<イナ>とか<イナミ>とか読んでいる地名も、

 この<イナンナを守り神>とした<農耕者>たちが、
 
 古代の我が国にいたことが、疑いない事実だったと理解できる。

 また印南国と書けばイナンナそのものであることもわかる。

 稲文化は非常に古く、

 稲敷→殷以前に我が国に到達していて、

 それがイナ、イネという日本語を生み、

 現代まで使われ続けているという歴史もわかる。

 それは、時代と、殷の地理的状況と、

 出土モミの検討から陸稲だったことは常識である。

 水稲はそれから後に入って来た。

 それを主食とする私たちの祖先は、

 どちらも<この列島の、

 生え抜きの土着人ではなかった>ことは疑いない。

 後から入って来た<水稲のコース>も、その名から判っている。

 それは<コメという稲の別名>がダブッて

 実在し続けているからである。

 コメは沖縄語ではクミで、その通りの名をもつ島がある。

 クミジマ=久米島だ。

 この久米は本土語ではクメと発音する。

 すると我が国の南西にそれを国名にしている国がある。

 クメール>ある。

 私たちからみればその国名はまさに

 米国(クメール)そのものである。

 沖縄のクミは鹿児島でコメと発音が変わる。

 それが全国に拡がって標準語になったのは、

 その移動拡大の事実とコースの動かぬ証拠なのである。

 『大学院講義録26』

 1 『神代巻』最大の謎・大国主は史実か?
 《『神代巻』最大の謎・大国主は史実か?
 「『神代巻』最大の謎・大国主は史実か?

 2 国譲り交渉の経過と、飛んでもない場所への降臨
 《国譲り交渉の経過と、飛んでもない場所への降臨
 「国譲り交渉の経過と、飛んでもない場所への降臨

 3 この出雲の実体は出水。大国は倭国か俀(ダイ)国か?
 《この出雲の実体は出水。大国は倭国か俀(ダイ)国か?
 「この出雲の実体は出水。大国は倭国か俀(ダイ)国か?

 4 なぜ?架空の「俀」が出現したか?
 《なぜ?架空の「俀」が出現したか?
 「なぜ?架空の「俀」が出現したか?

 5 四国にあった「俀」国の決定的証拠群
 《四国にあった「俀」国の決定的証拠群
 「四国にあった「俀」国の決定的証拠群

 6 明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?
 《明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?
 「明快な邪靡堆=八幡浜、では太子は聖徳太子か?

 7 誤訳の大害。俀(ダイ)国の太子は蘇我入鹿
 《誤訳の大害。俀(ダイ)国の太子は蘇我入鹿
 「誤訳の大害。俀(ダイ)国の太子は蘇我入鹿

 8 五彩圏を崩壊させた蘇我入鹿と、本講の思考法
 《五彩圏を崩壊させた蘇我入鹿と、本講の思考法
 「五彩圏を崩壊させた蘇我入鹿と、本講の思考法

 9 高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗
 《高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗
 「高・コウ。皇・ク。産・ウ。霊・リ=高句麗

 10 俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致
 《俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致
 「俀(ダイ)国と大黒と大国の登場人物の凄い一致

 11 八束水臣(おみ)津野の命は水の神で素戔鳴の尊
 《八束水臣(おみ)津野の命は水の神で素戔鳴の尊
 「八束水臣(おみ)津野の命は水の神で素戔鳴の尊

 12 詞(のりと)のカモロキは「鴨緑江」のこと
 《詞(のりと)のカモロキは「鴨緑江」のこと
 「詞(のりと)のカモロキは「鴨緑江」のこと
 
 13 御気野命は素戔鳴尊で神武天皇で天智天皇でもある
 《御気野命は素戔鳴尊で神武天皇で天智天皇でもある
 「御気野命は素戔鳴尊で神武天皇で天智天皇でもある

 14 話の謎なんか解いて何になる?
 《話の謎なんか解いて何になる?
 「話の謎なんか解いて何になる?

 15 祭神の史実を知って拝むのが真の『神道』
 《祭神の史実を知って拝むのが真の『神道』
 「祭神の史実を知って拝むのが真の『神道』

 16 タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王
 《タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王
 「タケミカヅチは八咫烏(やたがらす)の孫。事代主は蘇我大王

 17 卑弥呼時代の国譲り地域
 《卑弥呼時代の国譲り地域
 「卑弥呼時代の国譲り地域

 18 大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇
 《大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇
 「大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇

 19 武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない
 《武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない
 「武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない

 20 復元史学の中枢、英知の宝庫[6W]
 《復元史学の中枢、英知の宝庫[6W]
 「復元史学の中枢、英知の宝庫[6W]

 21 名乗りと地名との偉大な歴史価値、再確認
 《名乗りと地名との偉大な歴史価値、再確認
 「名乗りと地名との偉大な歴史価値、再確認

 22 秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない
 《秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない
 「秦王国は下関。俀(ダイ)国は四国以外にはありえない

 23 ギリシャの大国主国譲りと歴山大王家の悲劇
 《ギリシャの大国主国譲りと歴山大王家の悲劇
 「ギリシャの大国主国譲りと歴山大王家の悲劇

 24 大国主から武御雪男神までいるギリシャ神話
 《大国主から武御雪男神までいるギリシャ神話
 「大国主から武御雪男神までいるギリシャ神話

 25 八咫烏まで登場する歴山大王東征
 《八咫烏まで登場する歴山大王東征
 「八咫烏まで登場する歴山大王東征

 26 『記・紀』は『予言集』で『神託集』
 《『記・紀』は『予言集』で『神託集』
 「『記・紀』は『予言集』で『神託集』

 27 「神国・日本」は真実。それは何故か?
 《「神国・日本」は真実。それは何故か?
 「「神国・日本」は真実。それは何故か?

 28 出雲の神々の実体とアジアを教化した卑弥呼仏教
 《出雲の神々の実体とアジアを教化した卑弥呼仏教
 「出雲の神々の実体とアジアを教化した卑弥呼仏教

 29 繰り返し起った「大国主国譲り」の実態
 《繰り返し起った「大国主国譲り」の実態
 「繰り返し起った「大国主国譲り」の実態
 
 30 真の『神道』は高度の政治哲学。『記・紀』は憲法
 《真の『神道』は高度の政治哲学。『記・紀』は憲法
 「真の『神道』は高度の政治哲学。『記・紀』は憲法


 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

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2012年12月28日金曜日

高族=カリエン人のやって来たコース



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:34頁

 《高族=カリエン人のやって来たコース
 「高族=カリエン人のやって来たコース

 後期縄文時代の日本列島先住民・

 高族はバビロン崩壊で東方に移住したカルデア人の子孫だが、

 南インド発祥の鮭節の伝播その他で、

 彼らもソナカ以前のインド文化の運び手だったことがわかっている。

 その彼らの移住コースを探る実習を今回の結びとしよう。

 言語による手掛かりでは、

 インド・パキスタン北部、

 サカ人やマケドニヤ人が侵入する以前に入って、

 ドラビダ人と混血した人たちの言語に、

 日本語と酷似した膠着語の Kolaria コラリヤ語がある。

 特に「添接辞」を多用するのは日本語そっくりである。

 コーラルは珊瑚(サンゴ)、コウリーは宝貝で、

 高麗・高句麗・コーリア・高知・河内への名詞中の流れに結びつく。

 叙事詩 Mahabharata マハーパーラタは

 流浪の吟遊詩人族 kusilava クシラバ(串良国)らが広めたものだが、

 ガンジス何とヤムナー河合流点の北、

 Kuru クル地方の支配者者 Bharata バラタ(原田)族の子孫を、

 Kaurava カウラバ(高良国)という。

 これらの名も無関係とは思えないが、

 パーリ語の kala カラ は黒、

 黒い鳥カラスの語源はこの kala。

 八咫烏(やたガラス)は建角身で、

 タケチヌミ=武内大臣(タケチヌウミ)=高氏の大王。

 パーリ語の kula クラは良家、

 koley コーレイは高貴で、

 彼らがなぜ高族かを記録している。

 それは当然で、

 国家は崩壊してもハムラビ法典を生んだ前バビロンは、

 当時の世界で最高の文化をもっていた文明国だったのである。

 『バビロン崩壊
 「バビロン崩壊

 『カルデア人
 「カルデア人

 『ドラビダ人
 「ドラビダ人

 『Kolaria コラリヤ語
 「Kolaria コラリヤ語

 『Mahabharata マハーパーラタ
 「Mahabharata マハーパーラタ

 『ハムラビ法典
 「ハムラビ法典


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2012年12月27日木曜日

印欧文明より遥かに近い日印古代文明



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:33頁

 《印欧文明より遥かに近い日印古代文明
 「印欧文明より遥かに近い日印古代文明

 古代インド文明が、

 日本の古代文明に関わりがあった、

 という証拠をご先に入れる前に、

 その古代インド文明が、

 世界の文明に与えた影響を物語る遺物を一つだけでもご覧に入れておくほうが、

 はるかに、ご理解を助けると思うので、手短かな前置きを少し。

 それは、ヨーロッパ語の代表として、

 私たちが半ば常識として知っている英語の中でも、

 いちばんポピュラーな

 「 Man =人」も、やはりインド語との共通語だという実例である。

 インドでは、人類のいちばん最初の祖先で世界の支配者を、

 はるかな古代から「マヌ」と呼んできた。

 英語の Man と、この Manu が「共通語」であることは、

 一見しただけでもわかるが、

 英語だけでなく全てのヨーロッパ語が、

 インドーヨーロッパ語=印欧語と呼ばれて共通の先祖をもっていることは、

 いまさら申し上げなくてもよくご存じのことである。

 ただ一言つけ加えたいのは、その距離の差なのである。

 日本とインドとの距離は、

 インドと英国との距離の2分の1にすぎない。

 ヨーロッパまで出かけた人々がいたのなら、

 日本へやってきた人々は2倍いたという理屈だ。

 さらに日本は温暖な気候に恵まれている。

 それに比べると欧州は寒く、移住先としては南日本にかなわない。

 だからどちらがインドからの移民が多く、

 その文明の影響を受けやすかったか、

 考えるまでもないのである。

 『インドーヨーロッパ語=印欧語
 「インドーヨーロッパ語=印欧語

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2012年12月26日水曜日

南九州語の特徴はパーリ語



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:32頁

 《南九州語の特徴はパーリ語
 「南九州語の特徴はパーリ語

 だが先の出版祝賀会でお頒けした

 『パーリ語・共通語小辞典』をお持ちの方以外、

 パーリ語が日本語に混入した事実をご説明してないから、

 ここで手みじかにお話ししておこう。

 一般に「鹿児島弁」と呼ばれている南九州本土語は、

 同じ九州人でも北部の人たちには、

 もう意味不明なほどに、異質な言葉だという感じを与えているが、

 それは単語がパッパッと短く寸断されて開き取りにくいという、

 他に例のない特徴をもっているためである。

 「例」

 「ヤッガ、クッデ、キッメッ 彼奴が来るから来てみろ」

 「エッヲ、ニッデ、クッチケ 海老を煮るから食って行け」

 「ウッカタッヅッニ、クッガタッタ 家内の頭に釘が刺さった」

 この鹿児島語に似たパーリ語を拾ってみると、次のようなものがある。

 Abbhussakkkati  高い所へ上がる アップフッサッカチイ

          これはどうみても日本語の「危なっかしい」だ。

 Dubbuttika    豪雨 ヅップッチカ これは「逃げ出し」の語源だ。

 Nikkaddhati   駆け出す・逃げ出す ニッカダッチイ これは「逃げ出し」。

 Nipakka     煮沸した ニッパッカ これは「煮て沸かす」で、鹿鬼島語なら
             「煮ッ、沸ッ」である。

 Pakkita         羽衣 パッキタ 「羽ッ着た」。

 Vaddhi          ワッドイ 増大 鹿児島語の「ワッデイ 大層」。

 Sakkhissati     終末 サッキッサチ 「さきざき・先々」。

 これらが日本語に入ったことは疑いない。

 『パーリ語・共通語小辞典
 「パーリ語・共通語小辞典


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2012年12月25日火曜日

証拠が溢れる「鬼道=仏教」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:31頁

 《証拠が溢れる「鬼道=仏教」
 「証拠が溢れる「鬼道=仏教」

 こうしたインド文化が日本に入っでいる状況は、

 今回は仏教にだけ限定しておかないと、

 大量すぎてここでは脱線になり過ぎる。

 アソカ王が東方へ派遣したソナカ仏教宣布団の一部が九州に達し、

 卑弥呼を女王とする仏教連邦が実在し、

 それがI『魏書倭人章』の倭人国家群で、

 初期の歴史が天の稚彦と仲哀天皇と神功皇后の歴史の前半として

 『紀・紀』に書かれ、

 高句麗で魏軍と戦って敗走した位宮が、

 親魏倭王の卑弥呼に閉め出されて琉球へ逃れ、

 狗奴国以南の勢力を動員して攻撃、

 巴利国にあった都を占拠、卑弥呼は死に旧政権は逃れて、

 日向に移り、のち四国に進出し、

 西九州と朝鮮半島を支配下に入れた勢いで近畿に入った。

 これが倭の五王で、

 仁徳系皇朝として『記・紀』に記録されている。

 仏教は『魏書倭人章』に「鬼道」という適切な表現で書かれ、

 倭=優婆夷→女王卑弥呼、ソナカ、巴利、鏡といった

 仏教独特の証拠が大量に残る上に、

 『唐書』が大国・倭国と、書く時代には、

 『日本書紀』もゴマかせない女帝たちと蘇我(ソナカ)氏と聖徳太子らが

 明瞭に仏教国だったことを物語るし、

 卑弥呼以後の国名まで

 マガダ独特の言語・パーリ語だったことが明らかになり、

 尼や寺や曲田(マガダ)といった姓などが、

 鹿児島に3世紀当時の仏教の遺物として残っている。

 これらの全てが実在であって、反論できる仮説ではない。

 『ソナカ仏教宣布団
 「ソナカ仏教宣布団

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2012年12月24日月曜日

『記・紀』ともに祖神はインドの神名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:30頁

 《『記・紀』ともに祖神はインドの神名
 「『記・紀』ともに祖神はインドの神名

 これだけでなく、もっと決定的な問題がある。

 それは『日本書紀』と『古事記』の根本的な違いに基づくものである。

 その違いがなぜ生まれたかも見ておこう。

 『日本書紀』の冒頭

 「天地開闢(てんちかいびゃく)」の後に初めて姿を現わしたのは、

 葦の芽のような形をした「国常立尊」で、

 続いて「国狭槌尊」「豊斟淳尊」の計3神であると書くが、

 すぐそのあとに続く複数の

 「一書」では、この3神の別名や、

 最初に現われたのは葦の芽のような神「可美葦牙彦舅尊」で

 国常立尊は2番目、次が国狭槌尊で豊斟淳尊はいない。

 といったふうに諸説紛々で、

 どれが本当なのか決められないが、まず国常立尊説が多い。

 その中に一つだけ、がらっと異なる3神のものがある。

 「天御中主神」が最初で、

 次ぎが高皇産霊尊、3番目が神産霊尊だというのである。

 『古事記』は一つも「一書」を挙げない、

 この天御中主尊以下3神だけである。

 『日本書紀』と『古事記』は、

 まず信仰する祖神から異なる事実をよく認識しておく必要がある。

 ではその祖神はどう違うのか、

 日本列島先住民固有のものか、

 外来のものか。

 その答はは次の通り一目瞭然である。

 「国常立尊」

  古代インドの主神・プラ(国)ヂャー(常)パチ(立) Prajapati

 「天御中主神」 

  天(天竺)の御中主(美チュウヌシ・ン) 

  毘紐納神 Visnu『記・紀』ともに祖神はインドの神名

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 『Yahoo!天気・災害』 
 出典:加治木義博『言語復原史学会』

 三國志 巻三十 魏書三十 東夷 倭
 晉 陳 壽 撰
 宋 裴松之 注

 《『記・紀』が立証する邪馬壹国実在
 「『記・紀』が立証する邪馬壹国実在

 しかし卑弥呼時代には壱岐と一大率の名だった「イチ」が、

 壹與時代になると、

 邪馬国と一緒になって『邪馬一国』という君臨国名になり、

 13歳の少女が「壹與=一女王」と呼ばれて倭人に君臨し、

 筆頭官も伊支馬と呼ばれ、

 それは『古事記』に「伊久米伊理毘古伊佐知命」とある「伊久米」に合い、

 『日本書紀』の「活目入彦五十狭茅尊」の「活目」にも合う。

 これは『記・紀』がどう書かれたかを、正確に教えてくれる。

 イチに活(イキ)を当て字しているからイチは沖縄、

 それをイキと発音するのは本土語で、

 3世紀には沖縄語が話されていたのだが、

 『日本書紀』の編集者は

 伊支馬をイキマと読んでしまって「活目」と当て字し

 『古事記』の編集者は

 その名に「伊久米」と当て字した。

 これはイキウマと読み、

 理由は位宮が「生き馬の眼を抜く」という諺を生んだ人物だからだ、

 という考え方と、

 いや「伊久米」は「生き埋め」と読むのだ、

 という考えが対立したことが考えられる。

 それは卑弥呼の「殉葬者 奴婢百余人」を生き埋めにしたという記事が、

 『垂仁紀』にも倭彦命を葬った際に、

 その近習を全部、陵域に生き埋めにしたと書いてあるからである。

 倭彦命は天皇の弟だと書いてあるが、
 
 殉葬者を生き埋めにしたことに変わりはない。

 またそれがスメルのウル女王墓にも見られる慣習だったことも、

 ルーツを立証する貴重な史実で、見過せない。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録39:26頁」

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2012年12月23日日曜日

おおぜい居たか「天照大神」?



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:29頁

 《おおぜい居たか「天照大神」?
 「おおぜい居たか「天照大神」?

 ところが『日本書紀』編集者らは、

 さまざまな伝承を正確に分類することができずに、

 それらしい候補者を音、天照大神にしてしまった。

 それらを一応、理解しておこう。

 ① 「国生み」のイザナキ・イザナミは伊是名島の王の夫妻。

    その子が大日霊貴。

   「一書は天照大神だという」と割注に小文字で書いてある。

    大は倭、日霊貴=ヒメキ=姫木で卑弥呼。

 ② 『大隅正八幡縁起』にもオオヒルメがでてくるが、

    こちらは震旦国王の娘で、

    船に乗って八幡という名の幼児を隼人に連れて来る。

    これは柿・豊玉姫=狭穂姫の残した幼児を、

    船に乗って連れて来た玉依姫=壹與で、

    こちらは伊江島の生まれである。

 ③ 「天の稚彦を派遣した天照大神」もいる。

    卑弥呼はその派遺されてきた

    稚彦=仲哀天皇=ソナカと結婚したのだから、

    この天照大神は卑弥呼ではなく、

    壹與は生まれてもいない。

 ④ 「天孫降臨の天照大神」は、

    天忍穂耳尊という子供とニニギの尊という孫がいて、

    その孫が海外から南九州本土に初めて天降るのだから、

    大神は九州本土にはいない。

    卑弥呼は夫も子供も孫もいないし、

    九州本土にいるから、これは全く別神である。

 ⑤ 「父イザナギが左の限を洗ったとき生まれた天照大神」

    死んだイザナミを黄泉にたずねたあと、

    ミソギをすると神々が生まれた。

    この天照大神も以上の大神とは別人である。

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2012年12月22日土曜日

称号「天照大神」完成までの歴史



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:28頁

 《称号「天照大神」完成までの歴史
 「称号「天照大神」完成までの歴史

 しかし「天照」問題は、これで終ったわけではない。

 それは確かに壹與の訓みから生まれたが、

 『記・紀』はそれを壹與一人でなく、

 卑弥呼や他の女王の称号としても使っているからである。

 なぜ卑弥呼にも使っていることがわかるか。

 それは「寺」の字を、

 中国音にない「テラ」という発音で訓むからである。

 さきにお話しした大口市の

 考古学者・寺師見国(てらすみくに)氏の姓は「テラス」で、

 アマテラスに当てはめると

 「尼寺師」という意味と発音の揃った完全な名詞になる。

 この尼寺師が存在しなければ、仮に寺師という姓が生まれたとしても、

 それはテラシで「テラス」にはならない。

 さらに[寺 ziag / zi /si 」という発音の文字を「テラ」と

 発音する理由がないからこれはジシで、

 「テラシ」と読むことは絶対にありえない。

 だからアマテラスという発音は、

 間違いなく尼寺師という称号として倭国で使われていた。

 シンドゥ教徒・位宮に味方して日本と新羅の始祖王になった壹與は、

 仏教徒ではなくなったから「尼」と呼ばれることはない。

 それは卑弥呼の後継者を指す称号だったのである。

 男王制の『日本書紀』の編集者は、

 「尼寺師」をそのままにはしておけなかった。

 そこで知恵を絞って「天照大神」に変えた。

 これなら「チンヅウ・ウガ・ン」という沖縄発音に合い、

 「シンドゥの拝みびと」という

 壹與らの職能に合った称号として通用するからである。

 『寺師見国
 「寺師見国

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