2012年3月14日水曜日

『八幡』は屋久島王という名乗り



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:16頁

 《『八幡』は屋久島王という名乗り
 「『八幡』は屋久島王という名乗り

 種子ガ島に旁国の奴国があったこと、

 その住人が位宮側に味方して戦ったこと、

 その結果卑弥呼政権は倒れ、奴国軍は伊都国の隣りに進駐して新・奴国を作った。

 だから『魏志倭人章』には奴国が2つあるように編集されてしまったが、

 真実は1つの奴国が国を挙げて移動しただけだったのである。

 2つの奴国の謎はこれで矛盾なく完全に解ける。

 『魂志倭人章』は、それ以外の多くの古伝承や神話、お伽話まで、

 あらゆる古記録のもつ傍証を集めて比較活用して、

 始めて解明し確認できることがおわかり戴けたと思う。

 ここでついでに、種子ガ島と並ぶ大きな島・屋久島についてもみておこう。

 屋久島は鹿児島語では「ヤッチマ」と発音する。

 この発音に「の国」を意味する

 鹿児島語の「ン クニ」をっけると「ヤッチマンクニ」。

 これに当て字すると「八幡国」になる。

 壹與が南の島から隼人に移ったことは、

 『大隅正八幡縁起』に大比留女の話として残っているが、

 彼女が連れてきた男の子の名が八幡である。

 八幡は屋久島と同名だから個人名ではなく屋久島王を意味する「名乗り」である。

 「八幡は隼人の領主になり、 

  母の壹與は彼を残してさらに北進して北部九州の支配者になり、

  死後は香椎大明神として祭られている」というのが、

 『大隅正八幡縁起』の大要である。

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