2012年3月22日木曜日

「旁国」は卑弥呼政権時代のもの



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録08:25頁

 《「旁国」は卑弥呼政権時代のもの
 「「旁国」は卑弥呼政権時代のもの

 この横川と牧園と溝辺という3つの地名が旁国中に入っていないことで、

 『魏書倭人章』が記録した「旁国」とは、

 卑弥呼政権時代のものであったことが確認できた。

 このことには、まだ他に別の視点からの証拠もある。

 それは古代の地名には意味があって、

 現代のように、人が溢れてどんどん造成地が殖えるために、

 いい加減につけるような命名法は古代にはなかった。

 それらは必要最小限につけられたもので、

 それには自分で部族や身分を示す名をつけた場合と、

 外部の者がその土地の住民に対する呼び名をつける場合とがあるが、

 どちらも明瞭にその住民や土地の性格を記録しているものが、

 ほとんどである。

 それらの地名には、

 どちらの場合もそれぞれの部族的背景がつきまとっており、

 その部族なり政権なりの歴史を記録している。

 綿密に地名を検討すれば、

 刻み込まれているそれぞれの歴史が浮かび上がって来る。

 それだから、

 その当時の歴史の真相がわかるにつれて、

 さらに次からつぎへと答えを手繰って、

 深く史実を知ることができるのである。

 戦後の日本では、

 この事実に無知な自治体の公務員や、

 それと大差ない知識しかない学者が、

 平気で地名を勝手に変えてしまった。

 その罪は近い将来、必ず批判非難されると思う。

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