2013年6月23日日曜日

邪馬壹国とは小国・旧巴利国のこと


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:3頁

 大学講義録24では

 邪馬壹国の官名が、位宮の立場の弱さと、

 それを補うための彼の苦肉の権謀術数をよく記録していることまでお話しした。

 当時は祭政一致時代で、

 宗教が現代からは想像もつかないほどの支配力をもっていたから、

 単に政変ぐらいと考えるのは間違いで、

 他宗派から同調者を得ることは困難を極めていたことが推理できる。

 先にみた卑弥呼時代の女王国の旁国が物語るように、

 当時の倭国はせいぜい市町村ていどの小さな地域が、

 それぞれ一国を形成していて、

 まだ統一国家は生まれていなかったから、それはなおさらだった。

 卑弥呼が長期にわたって君臨していたといっても、

 それは倭国連邦の女王としてであって、

 統一国家の独裁者としてではなかった。

 彼女を倒しても、

 位宮と壹與が直ちに、全国的な強大な支配力を手にいれたのではない。

 彼等が政権を手に入れたその直前にも繰り返し内戦が起こったことでわかるように、

 一つ間違えばまた政権を失ったのである。

 邪馬壹は旧巴利国で、たとえば江戸が東京になったように、

 首都名が変わっただけに過ぎず、小国の名であって倭人全体の名ではない。

 仮に「壹」は「臺」が正しくて邪馬臺だったとしても同じことで、

 それは隼人町から国分市一帯の名でしかない。

 過去の『邪馬台』論者はもちろん『邪馬壹』論者も、

 この点で全員が根本的な間違いを犯している。

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