2013年6月21日金曜日

弥奴国に現存する我が国最古代の古墳


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録24:27~28頁

 女王国の旁国中の「弥奴国」は、

 卑弥呼が共立される以前の

 「沖縄~南九州~高句麗連邦」の首都であり、

 のちに仲哀天皇の皇子・籠坂(カゴサカ)王(鹿児島王)が

 討たれた宮之城であることも、私たちには詳細にわかっている。

 その宮之城の北西武には1000mを超える紫尾(しび)山がある。

 これは今はシビサンと読むが、

 シオ山とも読めるから、はじめは死王山だったが、

 いい名ではないので文字を変えた可能性があるし、

 喪山もソオ山と読めるので

 『記・紀』の編集者がソナカのソ王を喪とて字したか、

 また、死王山か柴尾山から喪山に変えた可能性もある。

 だが柴尾山は古墳ではない。

 宮之城=弥奴に別に古墳が築かれたとみるのが正しい。

 本講12の付録、

 上(かん)村俊雄氏の『南九州の古墳文化』で、

 よくおわかりのように、

 この弥奴国の北西部に入る出水郡高尾野(たかおの)町の

 「堂前(どうまえ)古墳」は地下式板石橋み土壙(どこう)だが、

 供えられていた土器が弥生土器だったことで、

 間違いなく我が国最亨の3世紀古墳であることが確認された。

 上村氏もこの

 「堂前古墳の調査によって、

  これまでの古墳時代の概念は一新された」と書いておられる。

 そこには1基の円形境と16基の方形墳がある。

 その円形墳が中心人物の古墳で、方形墳が臣下のもののようにみえる。

 喪山のモデルは、

 その円形墳か、墓地全体を指す可能性が考えられるから、

 堂前古墳はソナカの喪山の実物だった資格を充分備えている。

 高尾野町堂前古墳

 「高尾野町堂前古墳

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