2015年12月1日火曜日

≪アズミ族の正体≫石門「中津」


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫石門「中津」

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

  中津宮「勝山神社」福岡県福岡市東区志賀島勝馬

   勝山 志賀海神社(福岡市東区志賀島)の背後の山名

      「御笠山、衣笠山と三山」

   勝島神社(福岡市東区志賀島沖津島)志賀島の

    西北端沖にある神社:「沖津宮」という岩礁

   ※志賀海神社の「旧跡」との伝承がある。

  勝「カツ」ka-tu〔門-入口:門口〕

  中津「ナカツ」na-ka-tu〔石-門-入口〕石門口<入口の門の石>

   ※石は「神の住む天界への出入口」

   〇メソポタミアのジッグラト:石の山

   〇「旧約聖書」創世記第28章10~22

     10 さてヤコブはベエルシバを立って

              ハランへ向かったが、

     11 一つの所に着いたとき、日が暮れたので、

       そこで一夜を過ごし、

       その所の「石」を取って枕とし、そこに伏して寝た。
     
     12 時に彼は夢をみた。一つの梯子が地の上に

              立っていて、

       その頂は天に達し、

       神の使いたちがそれを上り下りしているのを見た。

     17 そして彼は恐れて言った「これはなんと

              恐るべき所だろう。

       これは『神の家』である。これは『天の門』だ」 

     18 ヤコブは朝はやく起きて、

       枕としていた『石を取り、それを立てて柱とし』、

       その頂に油を注いで、

              その所の名をべテルと名づけた。

     22 また、わたしが柱に立てた

       この『石を神の家』といたしましょう。

  ◎ 石は『神の家』への『天の門』である。

  志賀海「シカウミ」zikum「天空:天」

   ※志賀海神社とは

    本来「天空」「天」-神を奉祭する祠である。

    その本来の天神は、

    中津宮(勝山)神社の天門を通った

    向こうの沖津宮(勝島神社)に鎮座する神である。

    しかし、この宮も「勝」である限り、

    あくまで「天門」にすぎず。

    その本宮は、がるか彼方にあることとなる。

   〇zikumは(米)は、また深海を表すengurとも訓まれる。
 
    この概念が阿曇磯鹿の祖像である。

  壱岐(長崎県壱岐郡:壱岐島)

  「イキ」ig 戸・扇

   津之宮神社(壱岐郡石田町池田東触)「ツノ」tu-na〔入口-石〕

   〇都之神社(石田神社、壱岐郡石田町石田東触)

  「ツメ」『延喜式』神名帳石田郡津神社「ツノ」

   〇角上神社(壱岐郡石田町湯岳與触)、角上山

  「ツノ」『延喜式』神名帳壱岐嶋壱岐郡角上神社「ツノカムノ」

   都上神社(壱岐郡芦辺湯岳本村触)「ツノ」
 
   〇與神社(壱岐郡芦辺湯岳與触)

  「イキ」ig 「扇・戸」『延喜式』神名帳石田郡與神社「ヨノ」

   津ノ上神社(壱岐郡郷ノ浦町牛方触)

   津の上山(壱岐郡芦辺町住吉前触、神社のすぐ北側)

   中野郷(壱岐郡芦辺町)「ナカ」na-ka 〔石-門〕

   仲触(壱岐郡勝本町)「ナカ」

   中津神社(壱岐郡勝本町北触)「ナカツ」na-ka-tu〔石-門-入口〕

   『延喜式』神名帳壱岐嶋壱岐郡中津神社<名神大>

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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