2012年1月13日金曜日

ピタゴラスの定理と末盧上陸点



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録02:22頁

 ピタゴラスの定理と末盧上陸点

 その航路がどういうコースを取ったかも、帯方郡使は明瞭に書いている。

 それは対馬から壱岐に行ったコースを「南」と書いていることである。

 地図で見ると厳原から勝本への方向は「東南」であって南ではない。

 それなのに、わざわざ「南」と書いているのはなぜか?。

 このコースは玄海灘のうちでも特に潮流の激しい対馬海狭である。

 対馬海流は南西から北東に向かって流れている。

 それを横断して勝本に着くには、

 船を勝本に向けて進んだのでは北東に流されてしまう。

 舳先を真南に向けて進んでこそ、始めて勝本につけるのである。

 これは「ピタゴラスの定理」でよくご存じのことだと思う。

 だから『南』と正確に書いているのである。

 このことは帯方郡使が「磁石」をもっていなかったことを表している。

 彼が磁石をもっていたら船の進行方向でなく、

 目的地・勝本の「方角」を主にして、

 「東南」と書いたはずである。

 これで彼らが太陽などを使って、

 磁石なしでも東西南北を正確に判定できたことも、

 疑う余地なく確認することができる。

 これまで彼らが書いてきた方角のすべてが、

 今、確かめてみても全て正確だからである。

 だから仮に奈良まで行ったのなら、

 彼らは必ず「東」と書いたのである。

 それを間違えて南と書くことなど絶対にないことがこれで確認でき、

 立証されているのである。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

 古代史ブログ講座
 歴史徒然
 ネット歴史塾
 オリエント歴史回廊(遷都)    
 古代史の画像 
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 ひねもす徒然なるままに  

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
 メソポタミア世界
 シュメル-人類最古の文明 
 The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford

 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
 ひねもす徒然なるままに

0 件のコメント:

コメントを投稿