2012年1月8日日曜日

『魏書倭人章』とは?

ウワイト(倭人)大学院講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録01:14頁

『魏書倭人章』とは?

前書きで簡単にお話ししたことを、記憶に必要な範囲で、

も少し詳しく補足しながらお話しを進めていこう。

『魏書倭人章』というのは、

卑弥呼の死んだ前後に、日本列島の一部にやってきた中国人が、

その目で見、耳で聞いた3世紀当時の

「その地域と卑弥呼政権をめぐる歴史事件のナマの見聞録」が

出張報告書として当時の魏政府に提出されて残っていた。

その魏が間もなく消滅して晋の時代になり、

さらに呉も蜀も滅ぼされて統一国家になってから、

それら三カ国の旧政府文書などをもとに、

かつての魏の敵国・蜀で知事や歴史編集官を

歴任した陳寿(アザナは承祚)が、

280年代に

『魏書』

『呉書』

『蜀書』の3史を編集した。

それがさらに後世に一つにまとめられて『三国志』と名付けられた。

その『魏書』中の『烏丸(ウガン)・鮮卑(センピ)・東夷(トウイ)』

という一つの項目のいちばん最後にある「倭人(ウワイニェン)」の部分だけを、

江戸時代に日本で仮に『魏志倭人伝』と名付けただけのものである。

もちろん江戸時代には、

「倭」を「ウワイ」と読むのが正しいことなど知りもしなかったから、

7~8世紀に日本に入ってきた

唐の発音の大量に混じった「日本流発音」の読み方で、

やはり<ギシワジンデン>と読んでいたのである。

それは私(加治木義博)が訂正するまで続いた。

『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録 

『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録

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