2012年1月8日日曜日

「倭」は果たして「国名」か?

ウワイト(倭人)大学院講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録01:16頁

「倭」は果たして「国名」か?

「倭」は帯方郡使が勝手につけた名ではなく、

当時よく知られていた人種名なのだから、

漢字は似た発音のものを「当て字」しただけのものである。

それは倭人がこの世から消えない限り、変化はしても後世まで残ったはずである。

だから「倭」の発音変化には「名詞としての歴史」がある。

そしてそれが使われた時期は、次のようにはっきりわかっている。

1 ウワイ 前漢~三国時代 紀元前2世紀~紀元7世紀   漢魏音

2 ワ   隋・唐代以後  7世紀~9世紀        隋唐音

3 ヤマト 奈良時代以後  9世紀以後~現代       和訓

言語学上からみて『魏書倭人章』の帯方郡使の使った文字の3世紀の発音は一つしかない。

それは「1 ウワイ」である。

この発音だと「上井」と書いて<ウワイ>と発音する地名と姓になって今も残るものから、

省略されて<ウワ>→「上・大和」などと変化し、さらに<ワ>になったものまで、

たくさんな記録に一致するので、

古代から奈良時代まで継続していた連邦国家や政権などの

重要な名として、良く継続して実在していたことがはっきり証明されるが、

<ワ>では「上宮」などの、何のことか不明なものが続出する。

それだけでなく、この「ウワイ」の発音だけが卑弥呼政権の実態を完全に物語る。

この重大な威力を強く認識してほしい。

『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録 

『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録

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