2012年1月12日木曜日

コースと行程が謎を解く

ウワイト(倭人)大学院講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録02:13~14頁

コースと行程が謎を解く

まずスタート点で安心してお読み戴けるように、この『魏書倭人章』の謎は、

私には「全部」すでに「完全に解けてしまっている」ということを申し上げておこう。

それが可能だったのは、「帯方郡使が記録したもの」があるのだから、

それを尊重して、その通り正確に再調査していくと、

「本当のコース」の「正確なデータ」など正しい答えが

次々に出てきただけであって、ごく当り前のことなのである。

だから過去のような

「記録に基づかない説」は学問ではなかったのだということを、

はっきり区別して、意識することを学者は忘れてはならない。

幾度も繰返すが「帯方郡使が書いた行程」を無視するのなら

『魏書倭人章』など議論する必要はないからだ。

本当の謎の解明システムとはどんなものか、

その方法をご覧いただこう。

まずその貴重な手掛かりである

紀行文」を、帯方郡使はこう表現している。

「都より倭に至るには、海岸にそって水上を行く。

韓国を経て、南へ行き、東へ行くと、その北岸の狗邪韓国に到着する」。

これが「紀行文」の書き出しである。

だが問題なのは、彼の出発点は単に「郡」と書いてあるだけで、それ以上は不明なことだ。

「郡」というのが帯方郡のことだとはわかるが、それが今の朝鮮半島どこか、まるでわからない。

これでは出発点で、もう暗礁に乗り上げてしまうのだろうか?…。

その記録をよく点検すると、この後、旅行の途中に現在も同じ名前をもち、

しかも時代が変わっても動かない、

はっきりした位置に現在もちゃんと現存する二つの島が書かれている。

「対馬」

「壱岐」である。

これさえあれば、なにも出発点からたどる必要はない。

私たちが求めるものは、

この二つの島を過ぎた後にある国だから、その位置を知るためなら、

何も出発点まで後戻りする必要はないからである。

この二つの島は、あい対する相互の位置が確認できるだけでなく、

相対的な距離まではっきり書いてある。

それによって帯方郡使が書いた「不思議な尺度」の謎も解ける。

だから、この二つの島は

『魏書倭人章』の中でも最も重要な、最も貴重な記録である。

何よりもまず研究の出発点で徹底的に検討して、

活用法をみつける必要のある最重要部分である。

そしてそれから得られたものがこの問題の解決を左右する。

だからこれ抜きでは『魏書倭人章』の謎は「絶対に」解けないとわかる。

それなのに過去には、私に教わった人以外、

この島々に着目した人は一人もいない。

謎が解けなかったのは当然なのである。

『参考』
ウワイト(倭人)大学院講義録 

『My ブログ』
ウワイト(倭人):大学講義録

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