2012年1月30日月曜日

ヤマト朝廷の語源は『八幡徒』



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録05:23頁

 ヤマト朝廷の語源は『八幡徒』
 ヤマト朝廷の語源は『八幡徒』

 ここまでくると、天武天皇の正体も明らかにしておかねばならない。

 彼は天智天皇が樹立した日本朝廷を倒して、もう一度、実質「倭=ウワイ」

 ヤマト朝廷をつくったのだから、

 この問題こそ本講義の主題・『倭』の総括そのものだからなのである。

 「ヤマト」というのは「ハヤト」と対照になった固有名詞で

 「海幸・山幸」神話に語源があるから

 「ヤマト=山人・ハヤト=海人」であって、争いがあったのは古いことで、

 7世紀後半の天智・天武時代にはそれが一体化していたことが天武天皇の名でわかる。

 彼の初めの名は「大海人」だから「倭・隼人=上井・隼人」または

 「大隈隼人」の領主ということである。

 彼が間違いなく「隼人」の王だとわかると、

 彼が新たに開いた朝廷がなぜ?

 「ヤマト朝廷」と呼ばれたか、その理由が明らかになる。

 隼人町に現在もある鹿児島神宮は、

 江戸時代以前までは全国各地に

 「市=いち」

 「座=ざ」を設け、

 「歩き巫女」

 「座頭」

 「検校=けんぎょう」

 「神主」

 その「位=くらい」を授け、全国に派遣して、

 支配、運営していた日本の「祭政一致」の大本山だったからである。

 『参考』
  ウワイト(倭人)大学院講義録 

 『My ブログ』
 ウワイト(倭人):大学講義録

 古代史ブログ講座
 歴史徒然
 ネット歴史塾
 オリエント歴史回廊(遷都)    
 古代史の画像 
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 ひねもす徒然なるままに  

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
 メソポタミア世界
 シュメル-人類最古の文明 
 The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford

 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
 ひねもす徒然なるままに 

0 件のコメント:

コメントを投稿