2014年8月2日土曜日

阿曇・安曇(88)日本書紀:天孫降臨(4)

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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(88)日本書紀:天孫降臨(4)

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 日本書紀:天孫降臨(4)

 出典:岩波文庫

 『日本書紀』

 巻第二 神代 下 第九段(4)
 
 故大己貴神、則以其子之辭、白於二神曰、我怙之子、既避去矣。 

 故吾亦當避。 

 如吾防禦者、國内諸神、必當同禦。 

 今我奉避、誰復敢有不順者。 

 乃以平國時所杖之廣矛、授二神曰、吾以此矛卒有治功。

 天孫若用此矛治國者、必當平安。

 今我當於百不足之八十隅、將隱去矣。

 隅、此云矩磨泥。 

 言訖遂隱。

 於是、二神、誅諸不順鬼神等、

 一云、二神遂誅邪神及草木石類、皆已平了。

 其所不服者、唯星神香香背男耳。

 故加遣倭文神建葉槌命者則服。

 故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。

 果以復命。

 于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、

 覆於皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊使降之。

 皇孫乃離天磐座、天磐座、此云阿麻能以簸矩羅。

 且排分天八重雲、稜威之道別道別而、

 天降於日向襲之高千穗峯矣。

 既而皇孫遊行之状也者、則自槵日二上天浮橋、

 立於浮渚在平處、立於浮渚在平處、

 此云羽企爾磨梨陀毘邏而陀陀志。

 而膂宍之空國、自頓丘覓國行去、頓丘、此云毘陀烏。

 覓國、此云矩貳磨儀。

 行去、此云騰褒屢。


 故(かれ)、大己貴神(おおあなむちのかみ)、

 則(すなはち)ち其(そ)の子の辭を以(も)て、

 二(ふたはしら)の神(かみ)に白(まう)して曰(まうしたま)はく、

  「我(わ)が怙(たの)めし子(こ)だにも、

   既(すで)に避去(さ)りまつりぬ。

   故(かれ)、吾(われ)亦(また)避(さ)るべし。 

   如(も)し吾防禦(ほせ)かましかば、

   國内(くにのうち)諸神(もろかみたち)、

   必(かなら)ず當(まさ)に同(おなじ)く禦(ほせ)きてむ。 

   今(いま)我(われ)避り奉(たてまつ)らば、

   誰(たれ)か復(また)敢(あ)へて

   順(まつろ)はぬ者(もの)有(あ)らむ」とまうしたまふ。

 乃(すなは)ち國(くに)平(む)けし時に

 杖(つ)けりし廣矛(ひろほこ)を以(も)て、

 二(ふたはしら)の神に授(たてまつ)りて曰(のたま)はく、

  「吾(われ)此(こ)の矛(ほこ)を以て、

   卒(つひ)に功治(ことな)せること有(あ)り。

   天孫(あめみま)、若(も)し此(こ)の矛(ほこ)を用(も)て、

   國を治(し)らば、必(かなら)ず平安(さき)くましましなむ。

   今我當(まさ)に百足(ももた)らず八十隅(やそくまで)に、

   隱去(かくれ)れなむ」とのたまふ。

 隅、此(これ)をば矩磨泥(くまで)と云ふ。 

 言訖(のたまふことをは)りて遂(つひ)に隱(まか)りましぬ。

 是(ここ)に、二の神、諸(もろもろ)の順(まつろ)はぬ

 鬼神等(かみたち)を誅(つみな)ひて、

 一(ある)に云はく、二(ふたはしら)の神遂(つひ)に

 邪神(あしきかみ)及(およ)び草木石(くさきいし)の類(たぐひ)を

 誅(つみな)ひて、皆(みな)已(すで)に平(む)けぬ。
 
 其(そ)の不服(うべな)はぬ者(もの)は、

 唯星(ただほし)の神は香香背男(かかせを)のみ。

 故(かれ)、加(また)倭文神(しとりがみ)建葉槌命(たけはつみのみこと)を

 遣(つかは)せば服(うべな)ひぬ。

 故(かれ)、二(ふたはしら)の神天(あめ)に登(のぼ)るといふ。

 倭文神、此をば斯圖梨俄未(しとりがみ)と云ふ。

 果(つい)に復命(かへりことまう)す。

 時(とき)に、高皇産靈尊(たかむすびのみこと)、

 眞床追衾(まとこおふすま)を以て、

 皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊(すめみまあまつひこほのににぎのみこと)に

 覆(おほ)ひて、降(あまくだ)りまさしむ。
   
 皇孫、乃(すなは)ち天磐座(あまのいはくら)、天磐座、

 此をば阿麻能以簸矩羅(あまのいはくら)と云ふ。

 を離(おしはな)ち、

 且(また)天八重雲(あめのやへぐも)を排分(おしわ)けて、

 稜威(いつ)の道別(ちわ)に道別(ちわ)きて、

 日向(ひむか)の襲(そ)の高千穗峯たかちほのたけ)に

 天降(あまくだ)ります。

 既(すで)にして皇孫(すめみま)の遊行(いでま)す状(かたち)は、

 槵日(くしひ)の二上(ふたがみ)の天浮橋(あまのうきはし)より、

 浮渚在平處(うきじまりたひら)に立(た)たして、

 立於浮渚在平處、

 此をば羽企爾磨梨陀毘邏而陀陀志(うきじまりたひらにただし)と云ふ。

 膂宍(そしし)の空國(むなくに)を、

 頓丘(ひたを)から國(くに)覓(ま)ぎ行去(とほ)りて、

 頓丘、此をば毘陀烏(ひたを)を云ふ。

 覓國、此をば矩貳磨儀(くにまぎ)を云ふ。

 行去、此をば騰褒屢(とほる)を云ふ。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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