2014年8月12日火曜日

阿曇・安曇(99)メリンダ(ミリンダ)大王の問い

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 課題:古代にローマ帝国は極東の絹を熱望した
    ―古代世界における海洋交易の実相―

 阿曇・安曇(99)メリンダ(ミリンダ)大王の問い

 出典:東洋文庫:メリンダ大王の問い

 「メリンダ大王の問い」第二編第八章:110・111頁

 ……略……

 尊者ナーガセーナよ、地には、穀物の生ずる田があり、

 香りの生ずる花があり、花の生ずる濯木があり、

 果実の生ずる樹木があり、宝石の生ずる鉱山があって、

 だれでも、それらのうちでそれぞれ欲するものを、

 そこに行って持って来るごとく、

 尊者ナーガセーナよ、それと同様に、

 もしも、「ねはん」が存在するならば、

 その「ねはん」の生ずる場所もまた、

 〈存在すると〉期待されるべきです。

 尊者ナーガセーナよ、しかるに、

 「ねはん」の生ずる場所が存在しないのであるから、

 したがって、「ねはんは、存在しない」とわたしは言うのです。

 さらに、「ねはん」を実証する人々の実証もまた、あやまりです。

 『大王よ、「ねはん」の仕舞い置かれた場所は存在しません。

 しかしながら、この「ねはん」は存在するのです。

 正しく実践する者が、正しい注意努力によって

 「ねはん」を実証するのです。

 大王よ、またたとえば、火はまさに存在し、

 それの仕舞い置かれた場所は存在しません。

 二本のたき木を摩擦するとき、火が生ずるごとく、

 大王よ、それと同様に、「ねはん」は存在し、

 それの仕舞い置かれた場所は存在しません。

 正しく実践する者が、正しい注意努力によって、

 「ねはん」を実証するのです。

 大王よ、またたとえば、

 < 転輪聖王が所有するといわれる> 七つの宝すなわち、

 輪宝・象宝・馬宝・摩尼宝・女宝・居士宝・将軍宝は存在しますが、

 しかしながら、それらの宝の仕舞い置かれた場所は存在しません。

 それで、クシャトリャ(王侯階級)の者にして

 正しく実践するものの実践力によって、

 それらの宝が<かれに> やってくるごとく、

 大王よ、それと同様に、「ねはん」は存在しますが、

 それの仕舞い置かれた場所は存在しません。

 正しく実践した者が、正しい注意努力によって

 「ねはん」を実証するのです』

 『尊者ナーガセーナよ、

  「ねはん」の仕舞い置かれた場所がないのならそれでよろしい。

  しかしながら、正しく実践する者が、そこに住立して、

  「ねはん」を実証するところの住立所はありますか?』

 『大王よ、そうです。

  正しく実践する者が、そこに住立して、

  「ねはん」を実証するところの住立所はあります』 

 『尊者よ、しからば、

  何を正しく実践する者が、そこに住立して、

  「ねはん」を実証するところの住立所とするのですか?』

 『大王よ、戒行が住立所です。

  人が戒行に安住して、正しく注意努力するならば、

  サカ(スキチャ)国でも、

  ヤヴァナ(ギリシア)でも、

  チーナ(支那)でも、

  ヴィラータ(チラータ、韃靼)でも、

  アラサンダ(アレクサンドリア)でも、

  ニクンバでも、

  カーシー(べナレス)でも、

  コーサラでも、

  カシュミーラでも、

  ガンダーラでも、

  山頂においてでも、

  梵天界でも

  いかなるところに住立しても、

  正しく実践する者は、「ねはん」を実証します。

  大王よ、たとえば、眼ある人は、だれでも、

  サカ国でも、

  ヤヴァナでも、

  チーナでも、

  ヴィラータでも、

  アラサンダでも、

  ニクンバでも、

  カーシーでも、

  コーサラでも、

  カシュミーラでも、

  ガンダーラでも、

  山頂においてでも、

  梵天界でも、

  いかなるところに住立しても、虚空を見るごとく、

  大王よ、それと同様に、人が戒行に安住して、

  正しく注意努力するならば、

  サカ国でも、ヤヴァナでも、

  ……乃至 ……いかなるところに住立しても、

  正しく実践する者は、「ねはん」を実証します。

  大王よ、またたとえば、サカ国で、ヤヴァナでも、

  …… 乃至…… いかなるところに住立しても、

 ……省略




 「メリンダ大王の問い」第二編第九章:184・185頁

 ……略……

 大王よ、これら十三の頭陀の支分が、

 前生において実行され、実習され、実修され、習行され、習練され、

 行なわれ、常に行なわれ、円満に修められたことによって、

 かれは、すべての道の人〈の位〉 を獲得し、

 完全・寂静・安楽なる心統一が、かれのものとなります。

 大王よ、たとえば、

 港において<貿易の>利得をうる富裕の船主が、

 大海に乗り出して、

 ヴァンガ(ガンジス河下流)、

 タッコーラ(北アルコット地方)、

 チーナ(支那)、

 ソーヴィーラ、

 スラッタ(カーティヤーワール半島)、

 アラサンダ(アレクサンドリア)、

 コーラ(コロマンデル)湾、

 スヴァンナ・プーミ(金地国、ビルマ沿岸地方)へ行き、

 また、船の航行するところはどこにでも行くごとく、

 これら十三の頭陀の支分が

 前生において実行され、実修され、習練され、

 行なわれ、常に行なわれ、円満に修められることによって、

 かれは、すべての道の人<の位> を獲得し、

 完全・寂静・安楽なる心統一がかれのものとなります。

 大王よ、< また> たとえば、

 耕作する者が、最初に田の害になる草、木ぎれ、石を除いて耕し、

 そしで種子を播き、よく水を引き、<作物を> 保護し、守護して、

 刈取りと脱穀によって多くの穀物をうれば、

 貧乏人、困窮人、乞食、悲惨者たちはだれでも、

 かれのもとに引きとられるごとく、

 大王よ、それと同様に、

 これら十三の頭陀の支分が、

 前生において実行され、実修され……乃至…… 

 完全・寂静・安楽なる心統一が< かれのものとなります>。

 大王よ、またたとえば、

 高貴の生まれであるクシャトリャが灌頂して、

 王の印綬を帯び、受刑者たちを教導するとき、

 かれは支配者、自在力者、主権者であり、思うままに行ない、

 そして全大地がかれのものとなるごとく、

 大王よ、それと同様に、これら十三の頭陀の支分が

 前生において実行され、実修され、習行され、習練され、

 行なわれ、常に行なわれ、円満に修められることによって、

 かれは、勝者(ブッダ)のすぐれた教えにおいて、

 支配者、自在力者、主権者であり、思うままに行ない。

 そして道の人の全功徳が、かれのものとなります。

 大王よ、長老ウパセーナ・ヴァンガンタプッタは、

 <煩悩を> 根絶する頭陀の支分を円満に修することによって、

 舎衛城において<ブッダの定められた>

 サンガの約束を守らないで、

 <かれウパセーナをとりまぐ> 会衆をひきつれて、

 かの独坐の思惟にはいったところの

 「人々を馴らすべき御者」(ブッダ)

 ……略……

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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