2014年8月18日月曜日

阿曇・安曇(110)『日本書紀』講義と解釈⑥

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々

    ―西方絹貿易商人たちの居留地―

 阿曇・安曇(110)『日本書紀』講義と解釈⑥

 出典:『日本書紀』講義と解釈

 倭面国については拙著『縄文から「やまと」へ』で詳述したので、

 ここでは多くは述べないが、これらの史書以外の史書を参考にすれば、

 委面、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国はすべて倭国

 (「やまとのくに)ではない)のことであることが容易にわかる。

 この中で倭面土国は、無理やり「やまとのくに」と

 読めば読めるため(かなり苦しいが)、

 邪馬台国畿内説の人たちは、

 委面、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国を

 ヤマトと読み畿内ヤマトに当てている。

  ③(2)には、「倭」の訓について、漢書に晋灼と如淳の注釈があるが、

 この字のはっきりした訓はないとある。

 漢書の晋灼と如淳の注釈とは

 「委面」についてのことではないかと思われるが、

 このことは、中国には「倭」「委面」を「やまと」と訓む読み方は

 存在してなかったことを示している。

 つまり中国が書く

 「倭、委面、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国」は

 ヤマトではない、

 ということを物語っているといえるのである。

 しかしそれでも、

 『私記』の講師や邪馬台国畿内説の人たちは、

 これを「やまと」と読みたがる(中国史書における倭に限る)。

 ただ『私記』の講師は、倭はヤマトのことだと教えていても、

 『漢書』注には倭を「やまと」と訓む読み方は見つからない、

 と事実をもって答えていて正直である。

 それに対し現代の研究者は③(2)の記録を無視したまま、

 中国史書における「倭」も「やまと」と読んでいる。

 不誠実であるとともに、これでは史料が何のためにあるのかわからない。

  面国は倭面国であり倭国のことであるが、

 『漢書』地理志顔師古注の

 「如墨委面」から、倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国には

 「委面の国」という意味があるとみてよい。

 「委面」とは「入墨をした顔」のことであるから、

 倭面土国、倭面土地、倭面上国、倭面国も

 「顔に入墨をした人たちの国」を意味する。

 つまり「倭面土」とは、「ヤマト」を

 音で表現したものなどでは決してないということになる。

 面国は倭国のことであるが、

 それは「わこく」であり

 「やまとのくに」ではなく、したがって日本でもないのである。

《参考》


 ARPACHIYAH 1976



 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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