2014年8月7日木曜日

阿曇・安曇(94)大牟田市の弥生時代遺跡

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 課題:古代にローマ帝国は極東の絹を熱望した
    ―古代世界における海洋交易の実相―

 阿曇・安曇(94)大牟田市の弥生時代遺跡

 弥生時代の人々は、農耕(水田)を営み、

 竪穴式住居や、高床式倉庫をつくり、村を形成しました。

 また、共同墓地に土墳墓や髪棺墓をつくり埋葬しました。

 現在、確認されているこれらの弥生時代の遺跡は、

 白銀川流域の丘陵地帯に多く、市の北部にかたよっています。

 今後、調査が進めば、市の南部からも発見されるかもしれません。

 「羽山台遺跡]は、

 福岡県南部における代表的な弥生時代の墓地の一つです。

 大牟田市大字草木字羽山の草木八幡宮と大牟田高校にはさまれた、
 
 南北に延びた丘陵の東側にあります(一部、大牟田高校の敷地も含む)。

 現在までに確認されたものは、

 甕棺墓64基(内1 基は支石墓)、

 土墳(木棺)墓43基の合計107基です。

 しかし、今後、調査が進めばかなりの数になると予想されます。

 羽山台遺跡で最も古い甕棺は、支石墓下の甕棺で

 弥生時代中期初頭(今から約2100年前)のものとされています。

 「写真」支石墓下の甕棺

     (羽山台遺跡出土弥生時代約2100年前)

     支石墓とは巨石を据え、

     その下に土壙、甕棺などの埋葬施設のあるもの。

     支石墓は朝鮮半島中部以南に多い南方式のもの。

 「図」弥生時代の遺跡(「大牟田市遺跡等分布地図」による)

 ア 山下の上

 イ 倉永小学校

 ウ 下方

 エ 神屋原

 オ 南辻

 カ 北辻

 キ 土定原

 ク 東神屋原

 ケ 熊野神社

 コ 豊持

 サ 甘木中学校

 シ 東原

 ス 陣内

 セ 堂の後

 ソ 池田天満神社

 タ 白銀辻

 チ 西

 ツ 辻

 テ 門前

 ト 高須

 ナ 内畑

 ニ 上畑

 ヌ 城

 ネ 三池高校

 ノ 柿添

 ハ 草木八幡宮裏
 
 ヒ 室尾

 フ 田隅

 ヘ 銀水小学校

 ホ 久福木納骨堂

 マ 立山

 ミ 宮部納骨堂

 ム 大久保

 メ 大鳥居

 モ 羽山台

 ヤ 柿又

 ユ 今町

 ヨ 白川堂※

 ラ 白川※

 ロ 庄屋原

 ワ 井毛谷

 ヲ 上徳

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント:

コメントを投稿