2014年8月2日土曜日

阿曇・安曇(85)日本書紀:天孫降臨(1)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(85)日本書紀:天孫降臨(1)

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 日本書紀:天孫降臨(1)

 出典:岩波文庫

 『日本書紀』

 巻第二 神代 下 第九段(1)

 天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、

 娶高皇産靈尊之女栲幡千千姫、

 生天津彦彦火瓊瓊杵尊。 

 故皇祖高皇産靈尊、特鍾憐愛、以崇養焉。

 遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊、以爲葦原中國之主。 

 然彼地多有螢火光神、及蝿聲邪神。

 復有草木咸能言語。 

 故高皇産靈尊、召集八十諸神、而問之曰、

 吾欲令撥平葦原中國之邪鬼。

 當遣誰者宜也。 惟爾諸神、勿隱所知。

 僉曰、天穗日命、是神之傑也。 可不試歟。

 於是、俯順衆言、即以天穗日命往平之。

 然此神佞媚於大己貴神、比及三年、尚不報聞。

 故仍遣其子大背飯三熊之大人、大人、此云于志。亦名武三熊之大人。

 此亦還順其父、遂不報聞。 

 故高皇産靈尊、更會諸神、問當遣者。

 僉曰、天國玉之子天稚彦、是壯士也。 宜試之。

 於是、高皇産靈尊、賜天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢以遣之。

 此神亦不忠誠也。

 來到即娶顯國玉之女子下照姫、亦名高姫、亦名稚國玉。

 因留住之曰、吾亦欲馭葦原中國、遂不復命。

 是時、高皇産靈尊、怪其久不來報、乃遣無名雉伺之。

 其雉飛降、止於天稚彦門前所植植、此云多底屢。

 湯津杜木之杪。杜木、此云可豆邏。

 時天探女天探女、此云阿麻能左愚謎。

 見、而謂天稚彦曰、奇鳥來居杜杪。

 天稚彦、乃取高皇産靈尊所賜天鹿兒弓・天羽羽矢、射雉斃之。

 其矢洞達雉胸、而至高皇産靈尊之座前也。

 時高皇産靈尊、見其矢曰、是矢、則昔我賜天稚彦之矢也。

 血染其矢。 蓋與國神相戰而然歟。 於是、取矢還投下之。 

 其矢落下、則中天稚彦之胸上。

 于時、天稚彦、新嘗休臥之時也。 中矢立死。 

 此世人所謂、反矢可畏之縁也。


 天照大神(あまてらすおほみかみ)の

 子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊

 (みこまさかかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)、

 高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)の女(みむすめ)

 栲幡千千姫(たくはたち)を娶(ま)きたまひて

 天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を

 生(あ)れます。

 故(かれ)、皇祖(みおや)高皇産靈尊、

 特(おぎろ)に愛(めぐしとおもほすみこころ)を鍾(あつ)めひて、

 崇(かた)て養(ひだ)したまふ。

 遂(つひ)に皇孫(すめみま)天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、

 葦原中國(あしはらのなかつくに)の主(きみ)とせむと

 欲(おもほ)す。

 然(しか)も彼(そ)地(くに)に、

 多(さわ)に螢火(ほたるび)の光(かがや)く神(かみ)、

 及(およ)び蝿聲(さばへな)す邪(あ)しき神有り。

 復(また)草木(くさき)咸(ことごとく)に能(よ)く

 言語(ものいふこと)有り。

 故、高皇産靈尊、八十諸神(やそもろかみたち)を召(め)し

 集(つど)へて、

 問(と)ひて之曰(のたま)はく、

 「吾(われ)、平葦原中國の邪(あ)しき鬼(もの)撥(はら)ひ

  平(む)けしめむと欲(おも)ふ。

  當(まさ)に誰(たれ)を遣(つかは)さば宜(よ)けむ。 

  惟(これ)、爾(いまし)諸神(もろもろのかみたち)、

  知らむ所(ところ)をな隱(かく)しましそ」とのたまふ。

 僉(みな)曰(まう)さく、

 「天穗日命(あまのほひのみこと)、是(これ)神の傑(いさを)なり。 

  試(こころ)みざるけむや」とまうす。

 是(ここ)に、俯して衆(もろもろ)の言(こと)に順(したが)ひて、

 即ち天穗日命(あまのほひのみこと)を以(も)て

 往(ゆ)きて平(む)けしむ。

 然れども此(こ)の神、大己貴神(おほあなむちのかみ)に

 佞(おもね)り媚びて、三年(みとせ)に比及(な)るまで、

 尚(なほ)し報聞(かへりことまう)さず。

 故(かれ)、仍(よ)りて遣其(そ)の子(こ)

 大背飯三熊之大人(おほそびのみくまのうし)、

 大人、【此(これ)を于志(うし)と云(い)ふ。】

 亦(また)の名は武三熊之大人(たけみくまのうし)を遣(つかは)す。

 此亦還(これまた)其の父(かぞ)に順(おもね)りて、

 遂に報聞(かへりことまう)さず。 

 故、高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)、

 更(さら)に諸神(もろかみたち)を會(つど)へて、

 當に遣すべき者(もの)を問はせたまふ。
 
 僉(みな)曰(まう)さく、

 「天國玉(あまつくにたま)の子天稚彦(あめわかひこ)、

 是壯士(これたけきひと)なり。 試みたまへ」とまうす。

 是(ここ)に、高皇産靈尊、天稚彦に

 天鹿兒弓(あまのかごゆみ)

 及び天羽羽矢(あまのははや)を賜(たま)ひて遣す。

 此の神、亦忠誠(まめ)ならず。

 來到(いた)りて即ち顯國玉(うつしくにたま)の

 女子(むすめ)下照姫(したでるひめ)、

 亦の名は高姫(たかひめ)、

 亦の名は稚國玉(わかくにたま)を娶(と)りて。

 因(よ)りて留住(とどま)りて曰(い)はく、

 「吾(われ)亦葦原中國(あしはらなかつくに)を

  馭(し)らむと欲(おも)ふ」といひて、

 遂に復命(かへりことまう)さず。

 是の時に、高皇産靈尊、

 其(そ)の久報(ひさひさかへりことまうし)に

 來(まうこ)ざることを怪(あやし)びて、

 乃(すなわ)ち無名雉(ななしきざし)を遣(つかは)して、

 伺(み)しめたまふ。

 其の雉(きざし)飛び降(お)りて、

 天稚彦(あめわかひこ)が門(かど)の前(まへ)に所植(た)てる 

 植、【此をば多底屢(たてる)と云ふ。】

 湯津杜木(ゆつかつら)の杪(すゑ)に止(を)り。

 杜木、【此をば可豆邏(かつら)と云ふ。】

 時に天探女(あまのさぐめ)天探女、

 【此をば阿麻能左愚謎(あまのさぐめ)と云ふ。】

 見(み)て、天稚彦に謂(かた)りて曰はく、

 「奇(めづら)しき鳥來て杜(かつら)の杪(すゑ)に居(を)り」

 いふ。

 天稚彦、乃(すなわ)ち高皇産靈尊の賜(たま)ひし

 天鹿兒弓(あまのかごゆみ)・

 天羽羽矢(あまのははや)を取りて、雉(きざし)を射て

 斃(ころ)しつ。

 其の矢雉の胸を洞達(とほ)りて、

 高皇産靈尊(たかむすひのみこと)座します前(みまえ)へ至る。

 時に高皇産靈尊、其の矢を見(みそなほ)して曰く、

 「是の矢は、昔(むかし)我が天稚彦に賜ひし矢なり。

  血、其の矢に染(ぬ)れたり。 

  蓋(けだ)し與國神(くにつかみと)と

  相戰(あひたたか)ひて然(しか)るか」とのたまふ。 

 是に、矢を取りて還(かへ)して投(な)げ下(おろ)したまふ。 

 其の矢落(お)ち下(くだ)りて、

 則ち天稚彦が胸上(たかむなさか)に中(た)ちぬ。

 時に、天稚彦、新嘗(にひなへ)して休臥(ねふ)せる時なり。 

 矢に中(あた)りて立(たちどころ)に死(かく)れぬ。 

 此世人(これよのひと)の所謂(いはゆ)る、

 反矢(かへしや)畏(い)むべしといふ縁(ことのもと)なり。


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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