2014年8月12日火曜日

阿曇・安曇(100)後漢書巻七・孝桓帝紀第七

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 課題:古代にローマ帝国は極東の絹を熱望した
    ―古代世界における海洋交易の実相―

 阿曇・安曇(100)後漢書巻七・孝桓帝紀第七

 「後漢書巻七・孝桓帝紀第七」

 …略…

  辛巳、立貴人寶氏皇后。

  勃海妖賊藎登等稱「太上皇帝」、

  有玉印・珪・壁・鐵券、相署置、皆伏誅。

 十一月壬子、徳陽殿西閤、黄門北寺火、

  延及廣義、神虎門、焼殺人。

  使中常侍管霸之苦縣、祠老子。

 九年春正月辛亥〔卯〕朔、日有食之。

  詔公・卿・校尉・郡國舉至孝。

  沛國載異得黄金印、無文字、

  遂興廣陵人龍尚等共祭井、

  作符書、稱「太上帝」伏誅。

 己酉、詔曰、

 「比歳不登、民多飢窮、又有水早疾疫之困。

  盗賊徴發、南洲尤甚。

  灾異日食、譴告累至。

  政乱在予、仍獲咎徴。

  其令大司農絶今歳調度徴求、

  及前年所調未畢者、

  勿復収責。

  其灾早盗賊之郡、

  勿収租、餘郡悉半入。」
  
 三月癸巳、京師有火光轉行、人相驚譟。

  司隷、像州飢死者什四五、至有滅戸者、遣三府掾賑稟之。

  陳留太守韋毅坐臧自殺。

 夏四月、濟陰、東郡、濟比、平原河水清。

  司徒許栩免。

 五月、太常胡廣為司徒。

 六月、南匈奴烏桓、鮮卑冠縁邊九郡。

 秋七月、沈氐羌冠武威、張掖。

  詔舉武猛、三公各二人、卿、校尉各一人。

  太尉陳蕃免。

  庚午、祠黄、老於濯龍宮。

  使匈奴中郎将張奐撃南匈奴、烏桓、鮮卑。

 九月、光祿勲周景為太尉。

  南陽太守成瑨、太原劉質太守、並以譜弃市。

  司空劉茂免。

  大秦國遣使奉献。

 冬十ニ月、洛城傍竹柏枯傷。

  光祿勲汝南宣鄭為司空。

  南匈奴、烏桓率衆詣張奐降。

  司隷校尉李膺等二百餘人受誣為黨人、

  並坐下獄、書名王府。

 永康元年春正月、先零羌冦三輔、中郎将張奐破平之。

  當煎羌冦武威、護羌校尉段頴追撃於鸞鳥、

  大破之。西羌悉平。

  夫餘王冦玄菟、太守公孫域興戦、破之。

 夏四月、先零羌冠三輔。

 五月丙申、京師及上黨地裂。
 
  廬江賊起、寇郡界。

  壬子晦、日有食之。詔公、卿、校尉奉賢良方正。

 六月庚申、大赦天下、悉除黨錮、改元永康。

 丙寅、阜陵王統薨。

 秋八月、魏郡言嘉禾生、甘露降。巴郡言黄龍見。

  六州大水、勃晦海溢。詔州郡賜溺死者七歳以上銭、人二千。、

  一家皆被害者、悉為収斂。、

  其亡失穀食、稟人三斛。

 冬十月、先零羌冦三輔、使匈奴中郎将張奐撃破之。

 十一月、西河言白菟見。

 …略…

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976


 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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