2014年3月9日日曜日

「景徳王改名」。実例紹介の説得効果を忘れずに


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録33:21頁

 こうして、景徳王の地名大改定が、

 それらの地名が倭人による統治の遺物だったことと、

 新羅独立の内容と時期が、

 彼らの記憶に残り、

 日本の国使の態度に現われ景徳王が

 激怒するほど劣等感を感じた、生(なま)々しい、

 近世のものだったことを裏書きしている事実が、

 鮮明に浮き彫りになって見えてきた。

 それが史実を発掘解明する私たちの仕事にとって、

 どれほど貴重で重要なデータであるかもよくわかった。

 私たち学究は、こうした事実を広く他の読者に伝える必要がある。

 しかし読者が皆『三国史記』を読むとは考えられない。

 とすれば次に必要なことは、

 その景徳王らによる地名大改定の実態を、

 せめてサンプル程度でも、

 論文には必ず掲載しておく必要があるということである。
 
 その一例をご覧に入れよう。

 「多仁県 本(もと) 達巳県 景徳王改名」これは
 「タニ県、もとタツミ県」で、
  種子島と同じ地名だとよくおわかりだと思う。

 (以下景徳王改名は略す)。

 「化昌県 本 知乃弥知県」、これは
 「ケショウ県、もと血の道県」で
  明らかに日本語の化粧と婦人病の名だから、
  薬草栽培か製薬地帯の名。

 「醴泉(れいせん)郡 本 水酒郡」。
  醴泉は酒の泉、もとはミズザケ、
  これは養老の滝のような伝説地をただ日本語から中国語に変えただけ。

 「直寧県 本 一直県」=イチキ。
 「高丘県 本 仇火県」。
  アタカをタカオカに変えて、
  タカの発音で馬脚を現わしている。


 《「景徳王改名」。実例紹介の説得効果を忘れずに
 「「景徳王改名」。実例紹介の説得効果を忘れずに

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 《参考:年表・資料》 

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