2014年3月1日土曜日

浮き彫りになった弥生国後期の大隅文化


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録33:13頁

 ついでにお話しすると、

 JR大隅線の牛根麓駅のすぐ北の海岸は、

 「居世神(イセカン)」という名をもっている。 

 『三国史記』が新羅始祖王と書く赫居世と全く同じ当て字だから、

 この神だと私たちのロイン・赫夜姫の壹與だとすぐわかる。

 その海岸を5km北東に行くと「ヒメコ様(さあ)」の太崎観音がある。

 その約20km東に大人弥五郎の投谷八幡(大隅町)があるのである。

 弥五郎どん祭りのカケ声は「ダンジーウッタ」で、

 祭礼の曳き車「山車」をダンジリというのもこれが語源である。

 在来はこれを「大臣討った」と解釈してきているが、

 祭礼に巨像を使うのはインドの「ラージャ(王)焼き討ち」。

 ラをダと訛る大隅語だから、

 「大臣」の本来の発音はラージャン(の)で、

 「討った」はウッタラに復元できる。

 また関東のダイダラボッチという発音は、

 ギリシャ神話の、

 ミノス王の命令でクレタ島に

 迷路ラビュリントスを造ったダイダロスの名と話の影響が見られる。

 彼の子はイカロスで父が作った羽で空を飛んで

 空から種子をまいて人々を喜ばせる。

 『日向国風土記(ふどき)』智舗(チホ)郷の話は

 ニニギの尊が高千穂の峰に天降った時、

 稲の籾(もみ)を空に撒き散らすと世界が明るくなったという話である。

 二人ともボッチ(子供)で、

 空を飛ぶ凧(たこ)を関西ではイカというし、

 ニニギは丹脹(ニにぎ)で赤く明るくなって賑わうこと、

 赤米を広めたウッタラに様々に結びつく。

 《浮き彫りになった弥生国後期の大隅文化
 「浮き彫りになった弥生国後期の大隅文化

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